深淵地

第一章 第一話

 広場にひしめく、人、人、人。
 どちらを向いても手練てだれの者ばかりで、いつの間にか実力の釣り合った者同士でいくつかの集団に分かれている。
 右を向き左を向き、リーンはまずいな、と唇を噛んだ。
 今日はこぞって傭兵が要請される日だ。依頼内容と金額が提示され、利害が一致すれば契約が成立する。しかし、大きなヤマはほとんどが出来レースである。招集会はもう終わりに近づいている。
 これを逃せば、一週間はまた仕事にありつけない。
 それを嫌と言うほど知っているから彼らは群れるのだ。頭数が揃うほどに、指名される率は高くなる。分け前が減ろうとも、仕事にありつけないよりはいい。
 しかしリーンはまだ一人だ。既にほとんどの者が三四人の小集団に分かれてしまっている。これ以上分け前を減らすために人数を増やすところもないだろうし、第一、リーンのような子供を仲間に誘うような物好きがいるわけもなかった。
 そのときふと、人だかりの中に幼い金色の後ろ頭を目にして、リーンはそちらへ駆け寄り、手を触れてその肩をぐいと引いた。
「よ、おまえもまだ一人? 良かったらおれと組まないか」
「寄るな、おれは群れる気はない」
 振り向いた涼しげな目は、紛れもなくリーンと同じ年のころだったが、その声には拒絶がにじんでいた。
「な、なんだとおまえ――
「あれ、君たちこないだの人じゃん、おれも仲間に入れてよ!」
 むっとした途端、第三者の能天気な声に割り込まれ、リーンは怒るタイミングを逃してしまう。振り向けば、青い髪の少年がにこにこと笑っていた。
 こないだの人、という言葉に引っかかって記憶を探り、リーンも思わずあっと声を上げる。
「おまえ、馬車の!」碧髪の少年を指差し、そういえばおまえもだ、とリーンは金髪の少年にも指を向けた。
 偶然というのはあるものだ。
 三人は先日、同じ馬車に乗り合わせた。それだけなら記憶にも残らなかったろうが、山道をゆくその馬車を山賊が襲い、折りしも腕に覚えのあった彼ら三人によって撃退されたのである。
「これもなにかの縁だし、三人で組もうよ!」
 能天気な一人の有無を言わさぬ勢いにより、リーンばかりか残りの一人も思わず首を縦に振ってしまう。
 盛り上がる三人をちらと見やり、周りの傭兵は口元に失笑を浮かべた。子供ばかり幾人群れたところで、戦力にもならないと思われているのだ。それに気づき、リーンは嫌な気分になる。
 だからこそ、碧髪の少年が依頼者に向かって自分を売り込んだ一言を聞いて、思わず心の中で快哉を叫んでしまった。
「はいはーい! おれ、魔法が使えます!」
 ――この時代、魔術師は王族よりも稀有な存在だったのだ。


――そして光は闇をうち滅ぼした。闇は眠りについた。三人の王集いしとき、世界は再び動き始めるだろう」
 リーンが最後のくだりを語り終えると、村の幼い女の子はキャッキャッと手を叩いて喜んだ。ほどなくして母親らしき女性に呼ばれ、彼女は「ありがとうお兄ちゃん!」と手を振って走り去った。
「小さい子ってこの神話好きだよなー」
 女の子を見送り、リーンは呟いた。依頼者の村長を待っている間、せがまれて暇つぶしに話をしていたのだ。
「竜や戦いのくだりがあるからだろうな。視覚イメージが派手だから、冒険譚だとでも思っているんだろう」掌に顎を乗せて、金髪の少年キルはそう言った。ラストが曖昧なのもまた、神秘的な雰囲気が感じられていいらしい。「……他の国でも聞いたことがあるが、これはそんなに一般的な神話なのか?」
「少なくとも、この大陸では一般的に流布している話だねー。国によって若干の違いがあるみたいだけど、大筋と最後のくだりは一緒だよね。神話だとか伝説だとか、千年前に本当にあった話だとかいろいろ言われてるけど、最後の部分は予言だっていうのが、共通認識なんだよね、学術界では」
 魔法を使えると言った能天気な少年カイルが答える。彼はおしゃべりな性質らしく、一を問えば十返ってくるというほどに訊かれもしないことをぺらぺらとしゃべる。
「カイルって物知りだよな。魔法使える奴ってみんなそう?」
「いやー、別に。たんにそういうのが好きなだけー」そう言ってカイルはへらへらと笑った。
 カイルの歳は十四だそうだ。興味がてら訊いたリーンに、嫌な顔もせずカイルはそう答えた。ちなみに、リーンとキルも同じ歳である。
 与えられた一室で談笑している間に時間は経ち、窓を見やれば茜色の空に夕闇の色が忍び寄り始めた頃に、ようやっとこの村の村長が顔を出した。
「いや、どうも、遅くなりまして申し訳ない」
 人の好い顔をした、お爺ちゃんとも呼べる歳の老翁を責めることなどとてもできず、三人の少年は寛容に受け入れた。
「依頼は獣退治だと伺いましたが――
「ええ、これが大猪なんです」
 なんだ猪か、とリーンとキルは思わず拍子抜けしたが、さすがに顔には出さない。
 どうも、夜な夜な作物を荒らしまわる猪が出るらしい。しかしそのあまりの巨体と大きな牙に、荒事になれていない村人は怯んでしまって手を出せないそうだ。その大猪は気性が荒く、わずか近寄っただけで低い唸りを上げるという。
「足も速いので、追われるのも怖くてなあ。しかしいくら一頭だけとはいえ、このままだと作物が全部駄目になってしまいます」
 どうか引き受けてくだされんか、と弱々しく頼む村長に、「もう契約しましたから!」と三人は強気に請け負った。


 真夜中に、畑を掘り返す黒い影。
 茂みからその様子を窺う三人は、いたぞ、と目で合図し合う。しかし、いくら獲物を目視確認したからといって、ここでいきなりやりあうわけにはいかない。彼らが暴れることで、畑をめちゃめちゃにしてしまうからだ。
「とりあえず、森に誘導しよう」
 そう言ってリーンは小石を拾い上げ、作物の根っこを食っている猪に向かって放り投げた。
「馬鹿、打ち合わせもなしにいきなり実行に移すな!」
 リーンの短慮をキルが叱責したが、既に手遅れだ。こちらにターゲットを定めた猪は、荒い息を吐きながら頭を低くして後ろ足を蹴った。
「逃げろ!」
 三人は、一散に駆け出した。が、獣の足は速く、森の入り口に入ったばかりで既に追いつかれようとしている。背中から牙で一突きにでもされれば、悲惨な末路が待っているに違いない。
「カイル! 魔法!」こんなときこそ、とリーンは迫ったが、
「無理だよ、走りながら後ろに術出せると思う!?」一蹴された。
「じゃあどうすんだよ!」
「元はと言えばおまえのせいだろうが!」
 あっさり口喧嘩が勃発し、リーンとキルは足元の蔓や木の根っこを器用に避けつつ罵り合った。
「とりあえず、足止めするから仕留めてね!」
 意外と冷静にこの場を収めたカイルは、術を放つためにすかさず意識を集中した。
――来たれ、<風の刃>!」
 唸りを上げた真空刃が、目の前の木々を斜めに切り裂いてゆく。
「はい、避けて!」というカイルの合図を受けて、リーンとキルは必死に木々の間をすり抜けた。直後、切り倒された木々が、ずずんと大きな音を立てて地面に山を作る。数瞬遅れて追いついた猪は、目の前の障害物に思わず足を止めてしまう。
 その瞬間を捉えて、リーンは剣を上段に、空中から猪に踊りかかった。真上から体重を乗せた一撃を頭に食らい、獣は脳天に剣を刺したまま仰向けにどうと倒れる。そこをキルの刃が閃いて、咽喉笛を切り裂き絶命させた。
「……足さえ止めれば一瞬だったな」
「手応えのない獲物だったな」
「い、一番いいとこだけかっさらっておいて抜け抜けと」
 またも険悪な雰囲気になるリーンとキルを後目に、カイルはいそいそと枯れ枝を集め始める。
「……なにしてるんだ、カイル?」
 リーンの疑問に、カイルは満面の笑みで答えた。
「え、お腹すいたでしょ? これ食べようよ!」


 結局、三人は仕留めた獲物の傍で野宿をすることにした。
 村長に首尾を報告するためには、のこのこ手ぶらで帰るよりも証拠となる獲物を見せた方がよい。誰かを呼びにやるにしろ、自分たちで運ぶにしろ、こう暗くては視界が悪く難儀する。かといってこのまま置き去りにするには忍びない。他の肉食動物に食い荒らされてしまうからだ。勿体無いのである。
 そんなわけで、三人は朝を待つことにした。獲物の一部分は既に彼らの腹の中に納まっている。満腹になった彼らは、火の傍でぐっすりと寝入っている。
 ばちっと焚き火が爆ぜ、燃した枝の一部がことんと落ちた。
 その音に、リーンは、はっと目を覚ました。その瞬間、異様な気配を感じ取る。背にした火の灯りがゆらめく巨大な影を映し出し、がさごそ、ぱりぽりと妙な音を森の闇に響かせていた。
 リーンは、こくり、と息を呑む。
 何か巨大な生き物が、自分のすぐ後ろで音を立てている。
 ばり、がり。
 背中から目の前に広がる影の動作に、リーンは思い当たった。――食っている。彼らが仕留めた獲物を、その生き物が骨ごと食っているのだ。
 リーンはそろそろと手を伸ばし、すぐ傍にあった剣の柄を握り締めると、身を起こしてさっと振り返った。
 それは、巨大な熊ほどの大きさがあった。
「魔物……」
 リーンは思わず口から言葉を落とした。黒い影のようにしか見えないが、角の生えた二本足の生き物だ。足はヤギのようにこわい毛が生え、蹄がついていた。
 魔物。それは、「闇が眠りについた」と言われてからほとんど絶滅種のように扱われてきたが、まだ世界に生息しているのだと、リーンはこの瞬間に思い知った。
 こちらに背を向けて獲物をむさぼっていた魔物は、リーンの声に反応してくるりと振り返った。闇に、赤い目が光る。魔物はリーンを認識した。
「カイル! 起きろ!」
 リーンは隣に眠るカイルを揺さぶった。既に気づかれてしまっては、声を潜める意味などない。さっさと戦力のカイルを起こす方が先決だ。しかしカイルはなかなか目覚めない。
 魔物の、血にまみれたおとがいが開き、涎が糸を引いて滴った。リーンはぞっとする。瞬間、熊手のような一振りが唸り、リーンは鞘を払って刃でその爪を受け止めた。ぎいん、と甲高い音がして腕に鉛のような重さが加わった。はじき返すどころか受け止めるので精一杯だ。
「起きろ、馬鹿!」
 両腕が塞がっているため、リーンは必死でカイルを蹴り起こした。
「う……」と鈍い声を上げて、ようやっとカイルは目を覚ます。起き上がった彼は、目の前の状況を見て「ひっ」と声を洩らした。
「状況は把握したな!? さっさと援護してくれ!」
「え、援護って」
「魔法だ、早くしろ!」
 リーンは反応の鈍いカイルに苛立った。リーンの腕はとうに疲れ、力を張っているのが苦痛なほどだ。横に力を逸らして一度離脱し態勢を立て直したいのは山々だが、そうすると代わりにカイルがやられてしまう。
「ま、魔法なんて使えないよ僕!」
「なっ――
 昼間の態度とは裏腹に弱々しく訴えたカイルに、リーンはぎょっとする。一瞬、腕の力が緩まり、リーンは魔物の爪に横なぎに吹っ飛ばされた。
「ぐっ」
 茂みに落ち込み、リーンはあちこち引っかき傷だらけになる。すぐに体勢を立て直して振り向けば、カイルは怯えて足が竦んでいた。魔物が、一歩、カイルに近づく。なんだかわからないが、カイルはいまは戦えない。
 剣を拾い上げ、リーンは横っ飛びに魔物に切りかかった。しかし、蝿でも払うように、黒い腕で振り払われてしまい、リーンは落ちた拍子に唇を切った。口の中に錆びたような味が広がる。
「くそ、こんなときになにやってんだキルは――
 振り向きかけた途端、朗々とした声が闇を切り裂いた。
――来たれ、<炎の矢>!」
 ごうっという轟音と共に、巨大な火の玉が魔物の背中を直撃した。炎は魔物の全身を取り巻き、魔物はすさまじい咆哮を上げた。炎はなおも全身を嘗め、その巨躯を地面に横たえさせたときには、嫌な臭いとともにぶすぶすと黒い煙を上げていた。
 声の主は、キルだった。
 その行為はひどく精神力を使うらしく、はあはあと荒い息を上げている。しかし、悪態を吐くのは忘れなかった。
――だから、嫌なんだ、群れるのは!」


「まあ、なんだおまえら、ちょっとそこに座れ」
 混乱しつつも、リーンは二人を促した。さすがに疲れたのか、キルも大人しく地面に尻を付ける。いつの間にか、薄明が差した空はほのかに薄紫の色をしている。
「えーと、とりあえずカイル……大丈夫か?」ためらいつつも水を向けてみると、
「迷惑かけてごめんなさい」と碧髪の少年は殊勝に頭を下げた。
「どうしたんだよ本当に。夜が駄目――とかじゃないよな?」確か、猪を仕留めたときは魔法をばりばり使っていたはずだ。
「あの、僕、カイルじゃないんだ」
 はあ? とリーンは間抜けな声を洩らしたが、キルは視線を鋭くした。
「瞳の色が違う」
 リーンもはっと気づいた。翠玉のような瞳が、艶やかな菫色の紫水晶に変わっていた。
「カイルはどこに行ったんだ」思わず詰問すると、少年は怯えたような目を見せた。
「あの、僕がカイルでもあるんだけど……平たく言うと、二重人格なんだ。僕はカイルのときのことは覚えてないけど、カイルは僕のときの記憶がある」
 つまり、彼がこんなに怯えているのは、いまの状況をまったく理解していないからだ、ということがようやくリーンとキルにも飲み込めた。多重人格というのは話に聞いたことはあるが、という程度だったが、どういう理屈か瞳の色まで変わってしまっては、別の人間だと認識せざるを得ない。
「それは不便だな……あ、おれはリーン、そっちがキルな」リーンは慌てて自己紹介をする。
「僕はカイザー」
 そう言って彼は、やっと笑みを見せた。
「で、だ」とリーンは振り向いてキルを睨み付けた。「魔法使えるなら最初に言っとけよ!」
「おまえみたいに当てにする奴がいるから嫌なんだ。あれは、そんなに軽々しく使えるような力じゃない」キルは嫌そうにそっぽを向く。「精霊をねじ伏せて無理やり力を引き出すんだからな。カイルみたいにほいほい使う奴の方が特殊なんだ」
「……そうなのか」
「そうだ」キルは呆れた息を吐く。
「ま、とにかく朝になったし、村長さんに報告行くかあ。獲物は食い荒らされちまったけど、頭が残ってるからそれ持ってけば大丈夫だろ」
 と言いつつも運び方に難儀し、結局縄を括り付けて三人で馬鹿みたいにずるずる引っ張っていく破目になった。焦げた魔物は村人が怯えると気の毒なので、穴を掘って埋めた。たぶんあれ一頭だけで、他に棲息していることもないだろう。なんといっても絶滅危惧種だ。
「カイザーはこの件が片付いたらどうするつもりなんだ?」
「わかんない。カイル次第だし。たぶんまだ目的は決めてないと思うけど……」
「じゃあおれが組んでやるよ」とリーンは笑んだ。「一人だと、おまえに切り替わったときに身の護りようがないだろ」
「おれもカイルと組む」と加わったキルに、
「おまえは呼んでない」とリーンは苦い声を吐きかけた。
「勘違いするなよ。こっちだっておまえはどうでもいいんだ。カイルと組んだ方が仕事が舞い込みやすそうだからな。おれは早く実績が欲しい」
「わかったよ、もー、勝手にしろよ」
 頑ななキルにリーンは諦めて息を吐いた。
 とりあえずもここに、新たなチームが誕生したのである。


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2009 04 14