人差し指に力を入れると、かくんとトリガーの感触がする。
カチャ、カチャ、カチャ。
画面の中のゾンビが倒れて、ぱ、ぱ、ぱん、とリズミカルに得点が加算される。しかし、直後の猛攻に耐えきれず、画面にはゲームオーバーの文字が躍った。
追加の硬貨を入れようか迷い、結局今日はこれまでにした。週に一、二回程度このゲームセンターに通っているので、一度に使う金額はセーブしているのだ。
私はいつも、このゾンビゲームだけをやっている。
別にベストスコアを目指しているわけではないので腕前は「上手いとは言えない」程度でしかないが、死ななければその分長くやれるので、もう少し上手くなりたいとは思っている。
初めはクレーンゲームなんかをやっていたのだが、友達に誘われてこのゲームをやってみたら、「ちょうどいい」ところにすとんとはまったのだ。ちなみに、音に合わせて叩くリズムゲームもやってみたが、やりごたえのある難易度にするとついていけなくなった。
硬貨や財布などの忘れ物がないか確認して、私は今日もゲームセンターを後にした。
「結果どうだった?」
「……うーん、伸び悩み中?」
教室内で模試の結果を見ていると、多佳子から声がかかった。私は、曖昧な返答をする。
高校二年生の夏は、そろそろ志望校を視野に入れる時期だ。特別行きたい学校があるわけでもなくて、比較的近い大学を第一志望に選んでおいたが、合格圏内の判定はいまひとつだった。
多佳子も判定は高くなかったらしいが、彼女は行きたい大学が決まっていて、目標ははっきりしていた。
それを少し、うらやましいと思う。
自分には行きたい大学も決まっていなくて、合格圏内で迷わずに選ぶ大学もない。
そんなときはいつも、ゲームセンターに行きたくなった。
ふと窓を見やると、もくもくと入道雲が浮かんでいる。眩しい日差しの中に、濃い影が落ちていた。
カチャ、カチャ。トリガーを握る。
熱気と湿気で足にスカートがまとわりつくが、その不快感はあまり気にならなかった。筋肉の疲れと汗に吹き付ける利きの悪い空調は、いっそ快いぐらいだ。
「あんた、全然上手くならねえな」
「えっ」
急に声を掛けられて、私は振り返った。その二秒ほどのあいだに、操作キャラが死んだ。
「たまに見かけるけど、いつもやってるわりには下手なのな」
「……いまのはあなたのせいだと思うけど」
画面に見慣れたゲームオーバーの文字が躍っている。コンティニューはしなかった。下手がむきになっていると思われそうで。
筐体から離れると、相手は驚いたように「もうしないのか」と言った。
私は頷いてその人を見る。同じ高校の制服を着た男子生徒だった。シャツのボタンはいくつか外れていて、襟はよれよれだった。髪は肩にかかるぐらいに伸ばしていて、染色していた。こういうのを、銅色というんだろう。
まあ、見た感じは不良だ。
「なにか、御用?」
真正面から尋ねると、ん、と相手は口元を引き結んだ。いやべつに、と歯切れが悪そうだ。用があったわけではなく、ついなんとなく声を掛けたようだった。
「……あんたみたいなのがゲーセン通いって珍しいなと思って」
「でしょうね」
愛想は売らなかった。不良に関わりたいわけではない。
肯定の返事をしたのは、私は見た目が優等生だからだ。アイロンをかけたシャツ、上まできちんと留めたボタン、しっかり膝丈のスカート、もちろん天然物の黒い髪。母親の意向だが、きちっとピシッとするのは私も嫌いではない。
鞄を持って、「では失礼」と私はさらりと帰った。
代わり映えのしないゲームオーバーの文字。
それを見ても、私はむしろ機嫌が良いぐらいだった。なにしろ今日は、ステージ3までたどり着いたのだ。ステージの序盤でリロードが遅れてやられてしまったが、続きの硬貨は投入しなかった。
こういうときに調子に乗ると泥沼になるので、集中力が切れ始めたら止める方が良い。
「あんただったのか」
筐体から離れて鞄を手に取ると、声がかかった。
顔を見ると、先日の男子生徒だった。銅色の髪。
「……今日は、私服なのか?」
「夏休みだもの」
そう答えると、相手は少し戸惑った顔をした。彼の方はよれよれの制服のままだ。
「……怒ってないんだな」
呆けた顔で言うので、「なにが」と訊くと「こないだ……のこと」と返ってきたので少し考えた。
単に声を掛けられただけでは、と思ったのでよくわからない。
「下手、っつったろ」
「――ああ」
合点がいった。なんでそんなに居心地悪そうなんだろうと思っていたら、
「俺だったら怒る」と気まずげに返ってきた。
「べつに。ただの暇つぶしだもの」
暇つぶし、ストレス発散。その程度のことだ。少しぐらい上手くなりたいのはプレイ時間を伸ばしたいからで、負けることが悔しいわけじゃない。
「そのわりによく来るよな。顔見たのはこないだが初めてだったけど」
いつもはプレイ中の後ろ姿を見かけるだけだったらしい。
「やってるとすっとすんのよ。それよりよくわかったね、後ろ姿で同一人物とかわかんなくない?」
髪型も毎回一緒ではないし、近隣だから東高の制服も珍しいわけではない。黒髪だって、染めている人と比べたら区別がつきにくいぐらいだ。
「あんた、目立つんだよ……背筋が伸びてて、襟がぴんとしてて、今どき珍しい膝丈のスカートで、話しかけづらいったらねえよ」
「どっちがよ」
見た目からして不良なのに、背が高くて筋力がありそうで、雰囲気が鋭いこの男の方がよほど話しかけづらい。
「あんた……名前は?」
「そういうのは、自分から名乗るもんじゃない?」
問い返すと、相手は居心地悪げに頭をかいた。
「……空木だ」
「瀬奈」
答えると、空木はほっとしたように息を吐いた。
「それは、名字か名前かどっちだ?」
「教えない」
教えないのだ。
「瀬奈……ちゃん?」
いつものゲームセンターで聞き覚えのある声に振り向くと、空木が困惑したように眉間に皺を寄せていた。
「”ちゃん“?」
「呼び捨てするのは恐れ多いし、さん付けするのは他人行儀すぎるだろと思ってどうしようかと……」
「べつに、仲良しの呼び方じゃなくていいんですけど、空木くん」
ちょっと嫌味に返してみたが、結局はちゃん付けで落ち着いたようだった。
「あんたまだスコア伸びねえのか、教えてやろうか」
「お言葉ですが空木くん、余計なお世話」
相手の顔を見上げると、吊り目の中身がきょとんと丸くなって印象がわずかばかり可愛くなる。
「……なんで?」
恐る恐る尋ねるその様子は、逆になぜ怒りださないのか不思議なほどだった。
「えっとね、誰もが上手くなることを目指してるわけじゃないの。楽しけりゃそれでいいって人もいるの。そりゃちょっとは上手くなりたいけど、それは誰かに正解を教えてもらいたいってことじゃないのよ」
「そっか……わかった」空木は、物わかりがよかった。
声に出したことで、少し頭の中が整理されたような気がする。受験だって同じだ。周囲からいくつか学部や大学をお薦めされたが、誰かに決めてもらっては意味がない。息抜きがしたくなるのは、周囲の圧力への反発なのかなと思う。
「優等生って、すぐに答えが欲しいもんかと思ってた」
「私はそんなに優等生じゃないよ。――それにさ空木くん、不良なんだからこうなんだろ、って言われて嬉しい?」
「……すまん」
すぐに謝れて良い子だね、なんて言うと嫌味に過ぎると思ったので、私は黙って頷くにとどめた。
しかし実際、思ったよりも空木は素直だ。
「優等生ついでに気になったんだけどよ、あんたって、学校サボるな、とかは言わねえのな」
「べつに、私、困らないもの。義務教育じゃないんだし、あなたが留年するだけの話じゃない? ……うーんと、まあ、制服で悪さをするんなら、在校生に迷惑がかかるから控えてほしいけど」
空木は、それを聞いてはあと息を吐いた。
「瀬奈ちゃんってほんと、俺に興味ねえよなあ」
「お互いさまでは?」
「……そんなことねえけど」
私は、笑った。
「そうかしら」
「暇つぶしにだらだらやるんならさ、家庭用ゲーム機欲しいとは思わねえの」
上手くもないのに毎回毎回金取られてさ、と空木は不思議そうに問う。
「うーん、特に欲しいゲームもないしなあ。ゲーム機わざわざ買うぐらいなら、ここでちまちま使ってる方がお得じゃない? それに、連動してるのが好きなんだ」
腕を上げて指を動かす、その先に動きが連動しているのがいい。座って手元のボタンをいじるのではなく、しっかり立って重心を感じているのがいい。身体が動くことが、結果に繋がるのがいい。
「それと、制限がある方がいいの」
お金を払っているからこそ、きちんと止められる。ただの息抜きが本題にならないように、際限なくプレイできない方がいいのだ。
「はぁー、きっちりしてんな」と言って空木は苦笑した。「優等生って言われたかねえだろうけど、俺から見たらきちんとしてる子だよ」
レッテル張りじゃなく、純粋に感心した声だったので、不快感はなかった。
「たまには、違うのもやらねえ?」
そう空木が誘うので、出入口側にある筐体に足を向けた。
私はまったくもって冒険的ではないので、新しく何かに誘われるのは、ありがたいぐらいだった。
二つ並んだ筐体の片方に、訳もわからず座った。これは、レースゲームらしい。目の前に大きなハンドルがあるので、操作も見たまま直感的だった。
対戦して思い切り負けたが、結論からいうと楽しかった。
立ってやるガンシューティングとは違うが、足でも操作するのが良かった。ぐいとアクセルを踏む感触が、快かった。隣の人から、熱を感じるような気がするのが良かった。
「なかなか良かった」
空木は、口の端をくいと上げる笑い方をした。
「たまには、俺とも遊んでくれよ」
新学期になっても、べったりとした気候は続いている。
風がもう少し涼しくなればいいのに、と思っているうちに、帰りのホームルームが終わった。
ぱたぱたと人が出ていく中帰り支度をしていると、前の方の席で帰り支度を終えた男子が鞄を取って、ふとこちらを向いた。
その目がはっと丸くなる。
手にした鞄をばたんと机に叩きつけて、その男子はずかずかとこちらに近づいてきた。
「瀬奈ちゃん! 嘘だろー!!」
頭を抱えた男子――つまり空木だ――が、ぐわっと叫んだ。
「やっと気付いた」
呆れた声で応えると、空木は「え、嘘だろ、なんで? 嘘だ」と混乱した様子を口から垂れ流している。
「空木くん、クラスメイトに全然興味ないもんね」
「そっ、そんなこと、ねえけど……」
「もう二学期入って何日も経ってますよ」
夏休みの課題をやっていないのか、空木は早々に何日もサボっている。
「よくサボるし、授業中は寝てるし、昼休みはどっかに出ていくし、クラスの人の名前も覚えてないもんね?」
うぐっ、と空木はうめいた。彼は、もっと早くに言ってほしかった、とぼやきながら、椅子に座っている私を見下ろした。
カーテンの隙間からの陽光に、髪が透けている。まるで、ピカピカの十円玉みたいな色だった。
綺麗な、銅色。
「……瀬奈ちゃん、フルネーム教えてください」
私は、にっこり笑って答えた。
「教えない」
<了>
2022 06 27