脳内チャット

 パソコンの音がオフィス内にカタカタと響く。その中の一台を操る手を止めて、俺は大きく伸びをした。おまけに、はああ、という溜息が口からこぼれる。
「なんだ猪川いがわ、だれてるな」
「なんか疲れが取れないんすよ」語尾にかぶせて、くあ、と欠伸が出た。
「だらしねえなあ、若いのに」
 といっても二十六だ。俺自身はそんなに若いつもりはないが、社会人の中では若いということぐらいは承知している。だから先輩には、そうっすね、と軽く答えておいた。
「先輩、前夜と繋がってる夢って見たことあります?」
「なんだ、同じ夢を繰り返し見るとかそういうやつか」
 答えながらも先輩の目線はもう、デスク上のパソコン画面へと戻っている。
「いや、そういう警告夢、みたいなやつじゃなくて。連続ドラマみたいに話が繋がってるんす」
「……どうかなあ。子供のころに見たことがあるような気がするが。それがどうかしたか」
「……いえ、最近夢見が悪いんで思い出しただけっす」
 そう打ちきって、俺は操作を再開した。
 ――やっぱ、一般的じゃあねえのか。
 ここ最近の俺の夢はずっと、繋がっているのだ。もう、一週間になる。


「ワタシは獏でス」
 ――始まりはそんな言葉だった。
 俺はでっかい扉の前に立っていた。
 巨大な両開きの扉は縦五、六メートルはありそうな感じだ。その足元に、変な生き物がちょこんと二本足で立っていた。
 子犬みたいな小ささで、俺の膝あたりまでしかない。繰り返すが、変な生き物だった。
 その変なのが、自分は獏だと言ったのだ。
「バクって白と黒の模様じゃなかったか」
 これが夢だってことは明らかだった。だから、獣がしゃべるなんてことには驚かない。ただその正体が謎だったんで尋ねただけだ。
「それは動物園に居るマレーバクでショ。ワタシは獏なんでスよう。悪い夢を食べるんでス」
 と言われても。思わず眉間に皺が寄った。どう見ても、象の鼻をくっつけたピンクの子豚だ。
「獏は夢を食う、ってのは聞くな。で、その獏が俺になんか用か」
 俺の物言いはぞんざいだったが、獏は気を悪くした様子も見せなかった。奴は胸を反らすように――反り切れていないので飽くまでイメージだ――俺の前に立った。
「ワタシはいつも皆さんから美味しい悪夢をいただいていまス。だからお客様感謝デー期間なのでス。キャンペーンなのでス」
「悪夢なんか……って、そういやあったな、デスマってたときか」
 デスマーチとはソフトウェア業界の用語だ。仕事量が処理能力を上回り(もしくは納期を圧迫し)、あとには屍しか残らない(もしくは途中から屍を乗り越える道程になる)状態が予想される環境を言う。依頼主の気まぐれで、仕様変更が更に変更を引き連れてダンスを踊っていたりする。
 その所為で、付き合っていた女に振られた。メールの返事が梨の礫だったからだ。寝る前に一通ぐらい送れるだろうとなじられたが、家にも帰れない状態でそんな気力があるか、と正直に言ったら振られた。馬鹿馬鹿しくなって、こんな業界やってられるかと仕事を辞めた。――ちなみに現在は転職済みのため平和だ。
 当時の泥沼状態をありありと思い出してしまったが、とりあえず反応しないと話が進まない。キャンペーンって何なんだ。
「……で?」
 話が見えないので先を促すと、獏は得意そうに鼻をこすってこう言った。
「ちょっとした娯楽でスよ。夢の中で他の人と交流してみたくないでスか」
「別に」
 否定されると思わなかったのか、何だって、というような顔で獏は固まった。
 言いたい内容はなんとなく理解できる。つまり誰かと夢を共有できるということだろう。なんと面倒な。夢の中にまで、円滑な人間関係に腐心したかあない。
「駄目でスもう決めたんでス拒否は無しなのでス!」獏は足下に転がると、だだっ子のように四肢をばたばたさせた。「そ、それにっ、姿だって変えられるんでスよ!」
「へえ」
 好みの容姿に設定できるということだろうか。それにはちょっと興味をそそられた。つまりは、ネットで言う自分の分身キャラクター、アバターみたいな感覚でいいんだろう。
「じゃあ、犬とか猫にもなれんのかな」
 動物の視点になれれば面白いだろうな、と思ったのだが。
「それは無理でス」
「じゃあ興味ねえわ、つまんねえ」
 俺が呆れた息を吐くと、「ちょっと待ってくださイ!」と獏は慌てて俺の足にしがみついた。
「本人とかけ離れ過ぎてる姿は駄目なんでスよう。意識が、これは自分だってちゃんと認識してくれないのでス。姿を保つのが難しいのでス」
「……じゃあ、どういうのなら出来るんだよ」
 なかなか話が進まないのに焦れて、俺は見渡す限り何もない黒い空間に腰を下ろした。
「自分の姿をベースにして、細部を変えることはできるのでスよ。女性に多いのは、目を大きくしたり身体を細くしたり、若返ったり髪の色や長さを変えたりとかでスね」
「……それ、美形になったりもできるのか?」
 俺は尋ねた。美形がうらやましいとか、リアルで言えない分、夢の中でぐらいぶっちゃけてもいいと思う。
「顔のパーツ配置のバランスは変えられないでスけど、目を二重にしたり睫毛を長くしたり顎をほっそりさせたり、いろいろ微調整は出来るのでス!」
 獏はアピールに必死で、勢い込んで言った。
「体型も細めに出来るんだよな。それは、興味あるかな」
 俺は、見た目は体育会系だ。長身で体格もごつい。顔はそんなにひどくないと思うが、とにかく他人からの扱いが乱暴だ。世の女性に言いたい。おまえら、美形に対して繊細な扱いが出来るくせに、どうして他の男にその気遣いを振る舞ってやれないんだ! と。だから、ちょっと、美形の気分てやつを体感してみたかったのである。


 夢に入るといつの間にか町を歩いている。都会の繁華街というほどではなく、田舎というほどでもない。郊外の駅前ぐらいの発展加減だろうか。人もそれほど多くないが、行き交う、と言える程度はいる。天気は良くも悪くもない曇りだ。
 一番始めこそ、でかい扉を仰々しい儀式のように通り抜けたのだが、二度目からはいつの間にかこちらの世界に来ているといった感じだった。
 行ける店はそれほど多くない。というより、人々が交流している場所がだいたい決まっているのだ。特定のカフェ、レストラン、バー、ビルのロビー、学生なら大学、とこういったところだ。
 たかが一週間、されど一週間。交流したくなければただ町をぶらぶらしていてもいいが、飽きる奴はそろそろ飽きているのでは、と俺は思っている。いつまで続くのかと獏に訊けば、三週間ぐらいを予定しているそうだ。
 バーに入ると、そこはいつものとおり橙の灯りに照らされている。カウンター席に座って後ろを見やれば、相変わらず、女に囲まれている男が見えた。
 男の名前は牧田まきたという。現実の顔が知られていないと思うと気が緩むのか、自分の名字、またはあだ名ぐらいは明かしている者が多い。この男にしても、牧田というのは本名だそうだ。
 見やった視線を前に戻し、俺は手元に集中する。さすが夢の中と言おうか、メニューもなんでもござれで、俺はマスターに出してもらった牛丼をかっこんでいた。
「またそんな、重いもん食べてんだ、あんた」
 隣に座ったのは、今しがた後ろにいた例の牧田だ。先週俺がカツ丼を食っていて、その食いっぷりを気に入った牧田が声を掛けてきたのが知り合ったきっかけだ。
「米入れないと食った気しねえんだよ。牧田さんは、お姉ちゃんたちとの会話はいいのか」
「いいよ、済んだから」
 牧田は、俺の食いっぷりを珍しげに眺めている。実際は、ガツガツ食いそうな感じがするのは牧田の方だった。なにしろ牧田の外見は、洋モノゲームに出てくる軍人の様な姿なのだ。筋骨隆々とした傭兵さんという感じである。対する俺は、線の細い美形の姿だった。顔のつくりと体型を実際より細めに変えたのだ。夢の中なので、俺は自分の容姿を客観的に把握してもいた。ちなみに、視線の高さが変わるのが嫌なので身長はそのままにしてある。
 そういうお綺麗な見た目の俺が、ぞんざいな言葉づかいをしていたり、上品とは言えない様で物を食っているのが牧田には面白いらしい。そんな牧田を横目で見つつ、割り箸の先を振り上げて俺は言った。
「さすがというかやっぱり、こっちに来た女の子はみんな綺麗な顔してるよな。牧田さんも、囲まれてて楽しいだろ」
「猪川さんだって、もてそうな顔してるじゃん」牧田は口の端を上げて、ふっと笑う。
「嫌味かそれは」
 言われてもありがたみはあまりない。何故かと言えばこれは作り物の顔であって、しかも美形の数は飽和していた。皆、考えることは同じらしい。多くの者は外見に中身が引っ張られるらしく、俺と違って現実世界よりもなんとなく所作が丁寧になってしまうとかなんとか。こっちの世界では、牧田みたいなたくましい外見の方が珍しかった。
 ここでの見た目は、現実世界と食い違っている可能性が高い。年下と思った相手が実際は年上だったり、その逆というのも有り得るのだ。だから俺は、誰にも敬語を使っていないし、相手もだからといって怒るようなこともない。ただ、あまり良く知らない相手を呼び捨てにするのも気が引けるので、敬称だけは付けていた。恐らく、他の者もだいたい似たような感じだと思う。
 それにしても牧田は女受けが良い。知り合った当初からそうだったが、女性に囲まれていることが多いのだ。最初は、その見た目が受けているのだと思っていたが、どうやら牧田は女性たちの愚痴を聞いたり相談に乗ってやったりしているらしい。見た目に反して意外とまめである。
 俺だってお姉ちゃんたちと楽しくやりたい気持ちはあるが、そこまでする気にはなれなかった。夢の中でもてたぐらいで、現実世界にはなんの影響もないのだ。
 ――虚しいといえば、虚しい。


「痴漢?」
「そうですよ猪川さん、知らないんですか? 管理人さんが警告に来てましたよ」
 同僚の佐伯さえきは、インスタントのドリップコーヒーを淹れて振り返った。
 どうやら最近、近隣に痴漢が出るらしい。女子社員に注意を促すため、わざわざビルの管理人が来たという。一人が聞いて皆に伝えたのだろうが、聞いた覚えがなかった。
 そんな俺を、佐伯はじろりと睨む。
「自分に関係ないと思って。男の人って、こういうこと無関心ですよね」
「……すまん」
 俺は素直に謝った。
 このあたりは駅に近く、コンビニや予備校もあるため、夜遅く未成年が歩いていることも多い。直接関係がないとはいえ、そんな彼らが被害に遭わないために、社会人として気を配っておくべきなのかもしれなかった。
 牧田に相談をしている中に、佐伯のような女性もいるのだろうか。こういう話題も出るのだろうか。そんなことをふと思った。
 牧田はきっと、関心のない素振りも見せず、余計なことも言わずに、きちんと相手をするはずだ。だからこそ、牧田は女性に好かれている。女性は話を聞いて共感してくれる人に好意を抱く。
 なにやら、自分と牧田の差を思い知らされたような気がして、少しへこんだ。


「なんだ、今日は一人なのか?」
 カウンター席で飲み物を飲んでいる牧田を見つけて、俺は横に腰を下ろした。
 悪ノリした俺が馴れ馴れしく肩に手を回すようにすると、意外にも、やめてくれと言って牧田はそれをゆるく振りほどいた。
「……どうした、ノリが悪いな。酒が足りんか?」
――いや、悪いけど、スキンシップは苦手なんだ。それに、これ、酒じゃないから」
 そう言って、牧田は手の中のグラスを軽く上げた。オレンジベースのノンアルコールカクテルらしい。
 なんでまたと訊くと、酔ってたら姉さん方の話が聞けないだろ、と返された。
「なんだ結構、真面目くんなんだな」
 揶揄するように聞こえたのか、牧田がじろりと睨んだので、俺は慌てて弁解した。
「いや、悪く言ってるんじゃなくて。まめっていうか、牧田さん、気配り上手なんだなと思ってさ。俺なんか今日、自分の無神経さを露呈してきたところだよ」
 昼間の佐伯とのやり取りを披露すると、牧田は途端に呆れたような顔になった。
――ああ、いるね、そういう奴って」
「待て、いま俺の株がすっごい下がらなかったか」
 思わず前のめりになると、牧田は冗談だよとでも言うように苦笑を返した。
「俺の無神経さはこれ以上掘り下げんでくれ。それは置いといて、まあいわゆる異性には言いにくい類の相談も、されたりすんのか?」
 ちょっと気になって尋ねてみる。
「うーん、まあ、人によるかな。でも詳しいことは言えなくても、今日嫌なことあった、とか、そんぐらい言うだろ。相手の意を汲んで、言ってほしい言葉をかけてやれたらそれで満足するもんだよ」
「その、意を汲んで、ってやつが難しいんだよ、普通は」
 テクもらおうと思ったのに参考にならねえな、と言うと、今度はハハハと声を上げて牧田は笑った。


「猪川さん、いいことありました?」
「え、なんで?」
 ノートパソコンに集計用のデータを打ち込んでいると、佐伯に声を掛けられた。飴の包装を破って口に放り込んだところだったので、思わず咽喉に詰まらせそうになる。
「嬉しそう? っていうか、なんかそわそわしてる感じですよ」
 くすくすと佐伯は笑う。
「いいことあったつうか、これからある、のかな? うん」
 俺は首を傾げつつ苦笑した。そわそわしている、などと。態度に出ているとは恰好悪い。
 実際何が起こったというほどでもないが、牧田と現実で会うフラグが立った。
 獏のキャンペーンとやらも、もう終了のカウントダウンに入っている。そんなときに牧田と、現実に帰ってからも会わないかという話になったのだ。
 お互いに現実の姿を隠して交流しているという事実があり、牧田は少し渋ったが、結局は気の合う友人だということは認めていたのでそういう運びになった。それでも、連絡先を交換するのは互いに本当の姿を見せてからの方が良い、と牧田が言ったので、今夜は姿を変えずに夢に入る予定になっている。
 インターネットで知り合った人とオフで会うと、イメージと全然違った、という話も聞くので、まあわからんでもない。それは相手の容姿が気に食わんかったなんていう話じゃなくて(それもあるだろうけど)、要はネットでの振る舞い方とリアルでのそれが違うということだ。ネット弁慶なんて言葉もあるし。自分が誰だか知られていないと思うと、本来の自分と違う振る舞いをすることができる。自分に役柄を振っているのと同じだ。
 今回の場合、文字のみのコミュニケーションになってしまうネットとは違うだろうが、それでも齟齬はあるだろうと思う。
 ――それがわかっても友人関係を続けるかという話だ。


next
novel