ただ怖かった。

独白

 俺は、怖かったんだ。


 小さな頃から泣き虫の椿。いつからだったろう、俺の傍に来るまで涙を我慢している、甘えん坊の椿が愛おしくて堪らなくなったのは。
 俺はずっと、自分が椿を妹のように可愛がっていたいのかそうじゃないのかわからなかった。
 でも、いつだって椿のことを一番大事にしてやりたかった。
 小学、中学の頃は、自分の気持ちがなんなのか見極めがつかなかった。ただ、この判断を誤れば椿を一生失う、ということだけは痛いほどわかっていた。下手に手を出して椿を泣かせたら、もう二度と幼なじみのふたりには戻れない。
 思春期にありがちな、浮ついた気持ちじゃないのかとも疑った。近くにいた女がたまたま椿だっただけだ、と。でもそうじゃなかった。誰かと付き合ってみても、俺はいつでも椿のことを考えていた。中学の頃一度、椿と一緒に帰ったことがある。そのとき俺は、全神経を隣の泣き虫な女の子に集中させていた。
 椿以外は、どうでもよかった。
 高校二年生になってようやく、椿と同じクラスになった。
 椿は俺を避けた。そのことに苛立ったが、藤原の奴が椿の髪に触ったのを見たとき、腹の底がずっしりと重く、冷たくなった。
 それは恐怖だった。
 嫉妬ではなかったことに、俺は半ば呆然とし、それを怒りでかき消そうとした。恐怖に呑まれそうだった。
 椿は変わってしまったのかもしれない。もう俺なんて、必要ないのかもしれない。俺を受け入れる余地なんてないのかも、いや、別の誰かを見つけてしまったのかもしれない。
 俺は、椿が愛しいのは、椿を手に入れたいからだと思っていた。
 でも違ってた。
 俺は与えたかっただけだ。椿が望むものを、俺が持っているものを、与えうるすべてを、椿にやりたかった。
 椿が受け入れないなんてことを考えもせずに。


 俺を見るたびに眉をひそめるあの態度、椿は泣くのを我慢しているのだと、そう知っていた。
 ただ泣かせてやりたかった。誰の傍で泣くこともできないのなら、俺の隣で泣けばいい。
 傲慢すぎる思いは、もはや止められそうもなかった。
 いまを逃せば、もうチャンスはないだろう。
 椿は変わってしまう。俺も、椿も、いつまでも昔のままでいるなんてことはできない。
 椿を追って階段を上りながら、俺はそんなことばかり考えていた。


番外「隣にいる」へ
novel

2007 04 09