月に

-----00



 グラールという国があった。
 その国は長い年月をかけて、辺りの国を呑み込んでいった。
 そして、現王の御世。
 殺戮を尽くし掠奪を重ねたその国に、王子が生まれた。
 祝いの席に招かれたある妖精は、贈り物の言葉を授けた。
 曰く、「この子は災厄を担うだろう。歴代の王の業の分まで」
 それは、呪いの言葉だった。

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「グラールへ嫁げ、と……?」
 不快そうに眉を顰め、少女は硬い声を漏らした。二十歳にも届かぬこの少女、ベリシーナ王国の王女である。
 憤りを含むその声を受けた父王は、決まり悪げにうむ、と頷いた。
「ま、他国に振られ振られて、こんな辺境までたどりついてしもうたらしいな」
 当たり前だ。でなければグラールのような大国からベリシーナに縁談など来るはずもない。
 この小国では王族の地位など、まさに名ばかりのものである。貧乏な農業国のため、姫の権威も領主の娘のそれと変わりないといって差し支えない。
 かつて猛威を揮ったグラールの侵攻も、王子が生まれたと同時にぱたりとやんだ。そしてグラールという名の猛虎が眠っている間に、結託した周辺国は強固な同盟を結び、それはグラールと対抗するまでに大きく育った。
 そのため、縁談を蹴られたからといって、むやみやたらに攻め込むことはできなくなったのだ。
「それでな、ミレナ、その王子というのが」
「わかっています」
 愛想笑いを浮かべつつ話を進めようとする王の言葉を、ミレナはぴしゃりと遮った。
 いくら辛酸を嘗めさせられてきた相手とはいえ、紛れもない大国である。将来的には王妃を目指せる夢のポジション、それがこうも不人気なのにはわけがある。
 原因は王子の呪いだった。
 呪いの言葉は王子の身を蝕み、その顔は醜くただれているらしい。また、その身を人目に晒さぬよう塔で静かに暮らしている様は、まるで幽閉された人のそれのごとく。そして城の者は王子がいつか災厄を呼ぶと恐れて、腫れ物に触るような扱いだとか。
 そんなところへ嫁に行けとは、あんまりな仕打ちである。
「不吉王子か……」げんなりと姫は呟いた。
「まあ聞け。朗報と言えなくもない知らせが二つある」
「……なんですの?」警戒しつつ、ミレナは訊き返した。
「一つはこの話が持ち込まれているのはベリシーナだけではないということ、もう一つはこちらから要望を一つ提示できるということだな」
 ミレナはぶるぶると拳を震わせた。
――要するに選定試験じゃないの!」
 つまりはそういうことなのである。

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 何故にこんなことになってしまったのか。
 三日間の船旅の後、次いで馬車に揺られながら、ミレナは頭を悩ませた。
 グラールへ提示する要望については、よく吟味せねばならなかった。相手は大国、こちらが小国である以上、相手の機嫌を損ねるわけにはいかなかったからだ。無下に断れば先方に恥をかかせることになる。こちらに嫁ぐ意思がない以上、上手く向こうから断るように仕向けなければいけないのだった。
 かといって国益に関することを申せば先方の怒りを買い、あまりに馬鹿げたことを申せば愚か者と失笑されることは必至であり、さじ加減が難しい。ゆえにミレナは考えに考え抜いた答えを提示したのだが。
「何故だ」
 ミレナはお輿入れの真っ最中であった。

-----03



「そなたがミリエンナ・ベリシーナか」
「はい」
 凛と声を張り、ミレナはグラール王の御前に進み出る。
 厳つい相貌であるとの期待を裏切って、対するは弱々しい老王だった。
「よう参られた。華々しい婚儀などはないが、これでそなたはグラールの一員となる」
 そう言ったグラール王より、王家の紋章の入ったペンダントを手ずからミレナは下賜した。それを身に着けて、婚姻の儀は終了である。
 ミレナの方が、ならまだしも、肝心の王子が人前に顔を見せることがないのだ。婚儀などはもとより期待していなかったが、結婚相手ぐらいこの場にいてもいいだろうというのがミレナの心意である。その心中も虚しく、結局王子に会うためには塔に出向かねばならぬらしい。ミレナの住居もそこに構えることになろう。
 前途多難である。ミレナは特大の溜息をつきたくなった。
「ひとつ、お訊きして構いませんか。どうしてわたくしなどをお選びになられたのですか」
 へりくだりつつ内心は、なんでそんな余計なことをしてくれやがりましたか、である。
「そなたの要望は、『床を別にすること』――だったな」ぽつりと言って、王は真っ白な口髭を指でしごいた。「本音を言うとな、世継ぎなどできなくとも構わんのだ。あれの弟も――まあ側室の子だが――おることだしの。ただ、そなたなら、妃の座を欲しがる他の小娘どもと違うかと思うてな」
 ミレナの解答は捻りすぎだったらしい。
「あれを頼む」との言葉を背に、ミレナはよろよろと王の部屋を辞した。

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「そなたがミレナか」
 まあ親子で言うことがおんなじ、と思いながら、ミレナはグラール王子を軽く睨み付けた。
「ミリエンナです。愛称を許した覚えはございません」
「私はディハイルだ」意に介さず、王子は名乗った。
 ミレナがそれ以上言葉を重ねなかったのは、王子ディハイルを観察していたからだ。彼は頭からすっぽりフードを被って顔を隠しており、さらに羽織っているマントの所為で体格すらよくわからない。これでまだ貫禄のある風貌であったならましだったかもしれないが、なんとも拍子抜けなことに、ディハイルは小男だった。
 ミレナの態度が刺々しいのは、こんなのを夫とは認めない、と思っているからだ。
 ただ、声だけは、見た目からしてしゃがれ声かと思っていたが、思ったよりも若い澄んだ声だった。

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 三日ほどミレナは拗ねることにして、ほとんど自室に閉じこもっていた。
 長旅の休養を充分に取っていず、疲れていたためもあったが、不吉王子との突然の婚姻、自分が選ばれたことへの悔しさ、王の御前に王子も参らなかったことへの憤り、彼を目にしたときの失望やらなんやらが交じり合って、しばらく独りになりたかったのだ。
「手が行き届かなくて、申し訳ございません」
 窓際の椅子に座り、外を眺めながら溜息をついたミレナに、食事の乗ったトレイを卓上に置いた侍女は謝罪の言葉を述べた。
「いいえ、気にしないで」振り向いて、ミレナは答える。
 ここではあまり派手な暮らしは期待できない。天蓋付きのキングサイズのベッドを置くには部屋は狭く、王族専用の大浴場もなく、何人もの侍女があれやこれやと飾り立ててくれるわけでもなく、第一着飾ってもサロンに行くことすらない。
 少なくとも生活は理想的だな、とミレナは思った。
 質素な国で生まれ育った彼女には、ありがたい話である。着替えや入浴の時まで侍女にうろちょろされては落ち着けないし、彼女は宝石などがじゃらじゃらと付いていない、比較的活動的な装いが好きである。そのために髪まで切ってしまったぐらいだ。
 ミレナの髪は肩口でぷっつりと途切れている。単に、長い髪は結い上げるのに時間がかかり、手入れや髪飾りに出費がかかる、というのが理由でもあった。
「ねえ、ディハイルはどうしているの?」
 スープ用のスプーンを手にして、ミレナは侍女に尋ねる。
「さあ……詳しくは存じませんが、いつも上階の書庫にこもっておいでです」
「そう、わかったわ」
 しょうがない。会いに行ってやりますか。

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「ディハイル? 入ります」
 一声かけると返事も待たず、ミレナは木の扉を押し開けた。
 途端、風圧で埃が舞い上がり、ミレナはけほけほと咳き込んでしまう。書庫の中は薄暗く、床にも机にも本が積み上げてあった。本棚は人ひとりが通れる程度に間隔を取ってあり、扉を開けた正面側に大きな机が一つ、どんと置いてある。埃の量を見るに、どうもディハイルは必要な本を取り敢えず机の上に積み上げておく習性があるようである。読み終わるまでは机と扉の往復しかしないのだろう。
「ああ、ミレナ……先日訊きそびれたことが」
 本の上から目を上げて、ディハイルはこちらを振り向く。机があるというに、彼は椅子の上で丸まって、膝の上に本を開いている。
「……何でしょうか」
 ちらりと横目でディハイルを見ながら、ミレナは答える。寡黙なディハイルの相手をするのが面倒になって、自室に辞してから三日間、ミレナは彼に会っていないのだった。
「陛下は健やかであられたろうか」
「え、お、お元気でしたけど」
 そうか、と言ったきりディハイルは黙ってしまう。なにを言われるかとちょっとどきどきしてしまったミレナは、肩透かしを食らって面白くない気分になってしまう。
「それだけ? たったそれだけですか?」
「他になにかあったろうか」
「あるに決まってるでしょう!」ああもうやってられない、とミレナは憤った。「私は、仮にも――そりゃもうほんっと心の底から不本意ですけど――あなたの妻なんです。少しはお互いのことを知ろうとか、歩み寄ろうとか、その類のことはあなたの頭にはないんですか?」
 ディハイルが息を呑む気配がした。
「……それはすまなかった」
 表情はうかがい知れないが、声の調子で彼が殊勝な態度になっていることは伝わる。
 あらやだ、意外と素直だわ、とミレナは思った。単身他国まで嫁いできた心細さやら――もとより期待はしていなかったとは言え――慰めの言葉ひとつかけてはくれなかったことに対する恨みやらを、ねちねちと追加しようと思っていたミレナだが、すっかり毒気を抜かれてしまう。
「それにしても――」とあっさり話題を切り替えて、ミレナはぐるりと辺りを見回した。「この部屋、ひどく汚いですね。掃除させていないんですか?」
「誰もこの部屋には近寄らない。――常に私が居るからだろう」
 次にはっと息を呑むのは、ミレナの番だった。
 ――彼は呪われの王子で、災厄の王子。誰も彼とは関わりたがらない。
 つまりこの人は孤独なのだ。孤独ゆえ、人との関わり方を知らない。
 王は健やかであるか、と訊いた。まるで何年も会っていない人かのように。
 彼は、父親を、「陛下」と呼んだ。
 そのことに、なぜだかミレナは泣きたくなった。

-----07



 ミレナは両手で水の入った桶を提げて、階段を上っていた。
 あの日から、何度かディハイルの様子を覗きには行ったものの、書庫のあまりの汚さに閉口して、掃除をしようと思い立ったのだ。正直言って、暇をもてあましてもいた。侍女は最初こそミレナの行動を止めたものの、「じゃあ、あなたが代わりにやってくれる?」とにっこり言ってやったら大人しくなった。
 ミレナが彼らほどディハイルを毛嫌いしないのは、第一印象で特に嫌悪感を抱かなかった所為かもしれない。それよりも、疲労で苛々した挙句の怒りの感情の方が強かったのだ。また、日が浅いため自分がグラールの者であるという実感に乏しく、彼が将来この国に災厄を呼ぶと言われてもぴんと来ない。
 階段の上までたどりつき、ミレナは書庫に入った。そして、定位置の椅子に陣取っているディハイルに目を留める。
「起きてます?」
 すっとミレナは彼に近寄った。フードの所為で顔が見えないため、椅子に丸まっていると起きているのか寝ているのかわからない。その途端、彼の上半身が傾いて、ミレナの腕にぽすっと頭を預けた。
「ミレナは太陽の匂いがする」
 がごん、とミレナは桶をひっくり返した。
 これからどうやって彼との距離を量ろうかと思っていた矢先のこの仕打ち。驚くなと言う方が無理である。
――っ、きゃあああっ! す、すす、すみません!」
 ミレナは我に返った。桶の水をディハイルの上にぶちまけてしまったのだ。救いといえば、まだ汚れる前の水だった、ということぐらいしかない。桶はミレナやディハイルの足にぶつかって、あっちこっちに水をはね散らかしたのだった。
「ずいぶん、濡れてしまいましたね」
 ミレナは手を伸ばして、ディハイルの前髪をかき上げた。フードがするりと彼の肩に落ちて、その素顔が顕わになる。
 あっ、とミレナは驚愕の声を洩らした。

-----08



 深い海の色をした、愁いを帯びた瞳。
 その瞳から、ミレナは視線を外せなかった。しばし見詰め合ったかと思うと、
「……すまない」
 ふいと顔を背けて、ディハイルは濡れたままのフードを被りなおしてしまう。その顔には、羞恥の色があった。彼の謝罪は、驚かせたことよりもむしろ、その顔を晒してしまったことに対してだろう。
「隠す必要なんてないじゃない……」
 思わず呟いて、無情にもミレナは再度フードをむしりとった。少し長い前髪の黒を掻き分けて、もう一度、彼の顔をじっくりと見る。顔の右半分を赤黒いあざが覆ってはいたが、特に醜悪な面は見て取れない。ただれているなんて嘘ばっかり。遠方のベリシーナに届く前に、噂が歪んでしまったとみえる。この度の縁談が舞い込んできた国々はどこも知らないだろう、
 ――王子が年端もゆかぬ少年だという事実は。
 王子は子供だった。ミレナが見たところ、十三か十四ぐらいだろうか。
「そなたは、眼を背けたりしないのか」この顔を見て、とディハイルはミレナを見上げる。
 それが怯えでも悲しみでもなく、純粋な疑問だったことにミレナは胸が痛んだ。顔を見せてはいけない。それは長い年月をかけて彼に刷り込まれてしまったことなのだろう。この国の者はきっと、彼の呪いの刻まれた顔を見て不吉な思いに駆られてしまうのだ。
 彼を無条件で愛してくれるはずの王妃は早世してしまった。
 彼にはわからない。無条件で許されるということが。
 だからといって妻を娶ってしまえとは乱暴な、とミレナは嘆息した。王は王なりに王子のことを心配しているだろうことは伝わるが、父親なら、それ以前にやることがあるだろうに。
「今度から、私の前でそれは無しね」とフードを指差し、ミレナはディハイルの髪に触れた。
 本来ならディハイルが素顔を晒していたとしても、咎める者などここにはいない。書庫の掃除をしろとはっきり命令したなら、逆らえる者はいない。それが許されるということが、彼にはわからない、いや、考えたことすらないのだろう。
 ふうとまたひとつ溜息をこぼして、ミレナは桶を拾い上げた。
「ごめんなさい、何か拭く物を持ってくるわ」
「必要ない」
 身を翻そうとするミレナの腕を、ディハイルがはっしとつかんだ。温かい風がふわっとミレナの髪を揺らしたかと思うと、次の瞬間には彼女の服は乾いていた。え? と思ってミレナがディハイルを振り返ると、彼もすっかり乾いた様子であった。
「……魔法?」
「ああ、私には素質があるらしい」
 素質も何も、媒介なしでやってのけるなど、一級の原石に違いない。あっと思って、ミレナは机の上に広げてある本の題名に目を走らせた。どれも、魔法理論や研究書のそれである。師もいない彼は、独学で魔法を学んでいたのだ。
「もしかして、この部屋の掃除も魔法でできちゃうんじゃないの?」ミレナが問うと、
「そうだな」とディハイルはぽつり答える。「しかし何もかも自分ひとりで事足りるなど、寂しいことだろう?」
 ――まだ誰かを必要としていたいから。
「そうね……寂しいわね」
 ミレナはその答えを噛み締めた。


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