-----05



「姫君の推薦状?」訝る隊長に、
「左様でございます」と姫は書状を差し出す。
「おい、ティオ、まさかお前が姫に頼んだんじゃないだろうな」
 隊長は姫の乳兄弟を振り返る。彼らの仲は聞き及んでいるのだ。
「そんなわけないじゃないですか。俺は無関係ですから」乳兄弟は、『無関係』という単語を強調した。とばっちりはご免である。
「たいした労ではありませんよ。少し稽古をつけていただくだけですから」
 姫はしたり顔。実は、乳兄弟に指南をせがみ、剣の構えと基本の型は身につけているのであった。少し実力のほどを試してみたくなっただけである。
 まずは一本、貴公子と打ち合う。
 姫の型は奇麗だったが、少し基本とは違う攻めを受けただけで対応が遅れる。それと気づいて、貴公子は指導をするように打ち込んだ。ようは文字通り「稽古をつけている」のだが、姫は不服である。
「ウィード様。本気で打ってきてください」
「おちびさん相手にそれはできかねるね」
「……それほどの価値もないということですか」
「どうとってもらっても構わないけど」
 カシン。姫の剣が絡めとられ、手から跳ね飛ばされる。
「……参りました」
 姫は大人しく構えを解いた。少し息が上がっている。
「悔しいか?」と隊長。
「ええ、悔しいです。お次はヒース様、お相手を」
 本気で、と請う姫に、隊長は呵呵と笑った。
「その心意気、買った。本気で相手をしてやる」
 姫は新たに剣を与えられた。
 ゆらりと立ちふさがった隊長はまるで壁のようだ。
 せめて、雰囲気には呑まれぬように。そればかりは姫の矜持が許さない。
 隊長の剣は、一太刀目から重かった。支えきれず、姫は頭から地面に横倒しになる。その拍子、帽子が脱げて、結い上げた藍碧の髪が艶やかにはらりと散った。
「……女か」
 隊長は驚愕に目を見開いた。その見事な髪と、常は帽子のつばで隠されていた顔を見れば、見紛いようもない。
「ええ、女です。それがどうか。本気で相手をするという約、違えませぬよう」
 姫は凛と声を張る。射抜くような紫紺の眼差しが隊長を捉える。
「無論」隊長はふっと笑んだ。
 ガキン。もう一太刀。
 一打目で既にひびでも入っていたのであろう、姫の剣先はいとも簡単に折れた。くるくると撥ね飛んだそれは、姫の二の腕にざっくり刺さって地面に落ちる。
――っ!」
 声を上げたのは乳兄弟であった。「リア!」
 慌てて駆け寄った彼は、姫の腕をとり止血を始める。姫の滑らかな白い肌が、鮮血に染まっていた。
「馬鹿、だからやめろと言ったろう。ディドに顔向けができないじゃないか」
「いいの、あの子は誰も責めたりしないわ」
「お前たちはそれでいいと言うから、だから俺が怒っているんだろう!」
 乳兄弟は怒声を震わせた。怒りをたぎらせ、隊長を睨みつける。
「ヒース隊長、誰がなんと言おうと俺が許せません。せめて一太刀返します。お相手を」
 乳兄弟は剣の柄を握り締めた。
 しかし、隊長にこてんぱんにのされる破目となる。

-----06



「ティオ、お前、気概ではリュアンに負けているんじゃないか」
 心底可笑しそうに隊長は笑う。
「……それはいいんです、わかってます。でも俺は、リアの兄を自任しているんです。俺には怒る権利がある」
 姫の乳兄弟はぶすくれている。全身の傷が痛い。彼が怒っているのにはもうひとつわけがある。姫が隊長を試したからだ。女とばれてどうでるかを見たかったのであろう。おかげで姫は上機嫌である。乳兄弟はやられ損。
「しかし、あそこでお前が怒るとは思わなかった。実は密かに、恋仲なのか?」
 乳兄弟は、喉に流し込んでいた水を思いきり吹き出した。
「ご冗談でしょう!? あんな跳ねっ返りに惚れるほど、俺は人生捨ててません」
「……ほほう。では俺がもらってもいいんだな」
 気に入った、と隊長は不敵ににやり。
 乳兄弟は、背筋が寒くなった。

-----07



「そろそろ潮時かしらね」
 すっかり下女姿が身についてしまった姫は言う。
「やっと観念したな。これでわかったろう、あの人達がどういう人か」
 やれやれと姫の乳兄弟は息を吐く。
「ええ。大変気に入ったわ」
「……お前に普通の感性を期待した俺が馬鹿だったよ」
 乳兄弟は言い返す気力もない。
 実際姫は懲りているわけではなく、本当に隊長と貴公子に興味をもったのだ。異性には隠している姿がある、というところで姫と彼らは鏡に映したようだった。それが、姫にとっては何にも増して興味をそそったのである。
「お父様の人選には頭が下がりますこと」
 暗にあれは王の趣味でもあると言い置いて、姫は足取り軽く城内へ。

-----08



「姫様、お二方をお連れしました」
 軽いノックと同時に戸が開き、女官が顔を出した。
「ご苦労様、ミナ。お通しして」
 はい、という返答と共に、二人の男性が室内へ導かれる。近衛隊長ヒースケイドと貴公子ウィーダリオンである。
「姫、参りました。お呼びであられるとか」とは隊長の言。
 ええ、と迎え入れて姫は恥じらいがちに目を伏せる。楚々とした微笑も忘れない。
「お座りになって。お茶でもお淹れいたしますわ」
「勿体のうございます、オーレリアン様」
 優雅な礼は貴公子のものである。
 姫は、普段お給仕をさせているくせに、と言いたくて仕方がない。ティオも誘ってあげれば良かったわ、と密かに笑いを噛み殺した。
 姫は紅茶と焼き菓子を振る舞う。長閑のどかな昼下がり。大きな窓からは燦燦と光が差し込み、花瓶には薔薇園から摘んだ真っ赤な薔薇。ゆったりとしたソファには、高貴な三人組。
 ――もとい、狸が三匹。
 優雅な室内で、うそ臭い応酬が繰り広げられている。
「お呼びだてしましたのは、ほかでもない、わたくしの婚約のことですの。わたくしが他国ではなく、臣下に嫁ぐということはお聞きだと思いますわ。このたび、候補者が決まりましたので、お知らせしなければと」
――我々にですか?」
 隊長は未だ話を呑み込めない様子である。貴公子にはぴんときたらしい。
「それは、恐れながら我々が候補者である……ということなのでしょうか」
「ええ。お二人のどちらかが最終的に、ということなんですの」
 姫はとっておきの笑顔で応えた。
 さあどう出るかしら! 姫を娶るなどあなた方には荷が重いでしょう!
 叫ばずにいた自分を褒めてやりたい。と姫は思った。

-----09



「あら、ヒース様、ウィード様、元気がありませんね!」
 その理由を嫌というほど知っている姫は、揚々と声をかけた。他人の不幸は蜜の味である。
「それがねえ、大変なことになっちゃって」
「俺達のどっちかが、姫と結婚しなきゃいけないんだと」
 ヘビーだ。と呟いた二人の肩を、姫はバシバシと叩く。
「あら、大抜擢じゃありませんか! ねえ?」
 怪しげな笑みの姫の目線は乳兄弟へ。彼はいつものように「はいはい」と流すばかりである。こころなしか、うんざり具合が加わっている。もしくは、隊長達に向けた同情であったかもしれない。
「駄目だ駄目だ」貴公子はぶんぶんと首を振る。
「姫なんかと結婚したら、遊べなくなるだろうが」
 もちろんあっちの意味で、である。
 まだ若いのに! と叫ぶ隊長への同情を、乳兄弟は放棄した。
「姫君へ告げ口して差し上げましょうか」さらりと姫は言う。目を見張る二人へ、
「私にそんなことできるわけないでしょう。冗談ですよ」からからと笑った。
「……リア、いい加減に」
 さすがに哀れに思った乳兄弟の助け舟を、姫はあっさりと遮る。
「で、お二方、実際姫のことはどうお思いです?」
「どうって、可愛らしい方だとは思うけど、結婚できるかどうかは別」
「俺は恋愛はできると思うが、結婚は無理だ。リュアンとならできそうだが。息詰まらんしな」
「そう? 私は逆だな。リュアンとは恋愛ならできるけど結婚は無理」
「あの、私のことなんて聞いてないんですけど……」
 調子が悪くとも、話題の舵は取れるらしい。

-----10



 近衛隊長のもとに、王より通達が下った。
 おめでとうございます、あなたが姫の婿に選ばれましたよ――と。
 がくり。隊長はうなだれる。
「ヒース様、おめでとうございます!」
 我知らず、姫の笑顔は隊長の傷をえぐる。隊長は恨めしげに姫を見下ろし、自分の松葉色の髪をくしゃりとかき混ぜる。
「そう喜んでくれるな」
「あら、なぜです? おめでたいことだと思いますけど」
「俺は、姫よりもお前のほうがいい、と言ったはずだが」
 隊長は憮然とした表情。
 姫はきょとんとする。遅れてその意味を悟り、頬に赤みが差した。
「……あの、もしかしてあれ、口説いていらしたんですか?」
「言わんとわからんのか」とさらに隊長の機嫌は下降する。
 あなたみたいな人のは特別わかりにくいんです、と姫は思った。
「……リュアン」
 隊長が、その骨ばった指をそっと姫の頬に滑らす。
 沈黙が落ちた。
――私、用事がありますのでこれで!」
 姫は隊長を突き飛ばして逃げた。隊長、面目なし。
 姫は思った。危うく流されるところだった。
 しかしまだ仕上げが残っているのである。

-----11



 式はつつがなく執り行われた。
 熱に浮かされたように物事は進み、隊長が我に返ったときにはすべてが終わっていた。脈ありと見た少女には振られ、失意のうちに既婚者になっている我が身を振り返れば、茫然とするも無理はない。
「ヒースケイド様?」
 姫は隊長の顔を仰ぎ見る。
 隊長ははっとする。周囲を見渡せば、いつの間にやら広い部屋に取り残されている。言うまでもなく、姫と二人きりである。
「……はい、姫」
 どことなく不自然な返答の様子を、姫は意に介さない。
「お湯を用意してありますの。髪を洗うのを、手伝ってくださいません?」
 意外といえば意外なお言葉。首を捻りながらも隊長は承諾する。
 今日は流さず結い上げていた髪を、姫は下ろす。編んでいた部分を解いたところに、隊長は手桶に取った湯で洗い流した。
 見る間に染料が解けて流れ出す。
 眠たい空色の下からは、目の覚めるような藍碧が艶やかに現れた。
 濡れたままくしけずると、真っ直ぐな髪は指の間から零れ落ちるよう。
「……姫?」
 髪に指を滑らせたまま、信じられぬといった声音で隊長は呟く。
「あなたが姫よりリュアンを選ぶと言ったから、だから私はあなたを選んだのです」
 まさか本気で口説いているのだとは思いもよりませんでしたけど、と姫は笑いを洩らす。
 振り向いた姫は、紫紺の強い瞳で隊長を見据える。
「幸せに、してくださるんですよね?」
 無論、と隊長は答えた。少し面食らいながら。

-----12



 姫は幸せになっただろう。
 隊長も幸せになったことだろう。たぶん。

<了>


あとがき
back/ novel

2005 11 19