好みだったのです。

眼鏡の君

 美幸は、左腕を顔の前まで持ち上げ、時計の針を確かめた。
 約束の時間を十分ほど過ぎている。
 待ち合わせ相手の聡は時間厳守なたちで、遅れるということはめったにない。
 心配した美幸が、連絡を取ろうかな、と思ったとき、待ち人は現れた。
「悪い。遅れた」
 急いで走ったのか、珍しく息を切らせた声を背中に聞いて、美幸は振り返る。
「先輩、眼鏡……!」
 その瞬間、美幸は口走った。
 聡は、普段かけているはずの眼鏡を、装着していなかったのである。
「ちょっとフレームを壊してな。修理できないかと思ったが、結局新しく買うことにした」
 眼鏡のフレームを選んでいて、遅くなったらしい。
「で、先輩、肝心の新しい眼鏡は?」
「ど阿呆、そんなすぐにできるか。いま、新しいフレームに合わせてレンズを削ってもらっとうから、あとで取りに行く」
 聡は辛辣に切り返したが、いつものことなので、美幸は意に介さなかった。
 邪魔な眼鏡がない所為で、聡の顔がよく見える。
 美幸は、聡の眼鏡を外した顔を見るのは初めてだった。ものめずらしくて、ついじろじろと観察してしまう。
「なんや」聡は顔をしかめたが、
「なんでもないです」と美幸はさっと視線をそらした。
 心臓がばくばくと鳴っている。
 いままで、じっくり顔を見る機会がなかったから気づかなかった。
 聡の目がくっきりとした二重なことも、思ったより睫毛が長いことも、鼻梁がすっと通って意外と男っぽい容貌をしているのだということも。
 妙に緊張してきて、美幸は聡の言葉もろくに耳に入らなかった。
 早く、新しい眼鏡が出来上がってくれと願うばかりである。


 ――しかし、美幸はすっかり失念していた。
 自分にとって、眼鏡をかけた聡の顔が恐ろしく好みだということを。
 新しい、細身のシルバーフレームの眼鏡は聡によく似合っていて、悶絶した美幸はしばらく口を利くこともできなかった。


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2007 08 04