平静じゃないのはどっち?

夕さり

「先輩、見て見て」
 窓から身を乗り出し、美幸は弾んだ声を上げた。
 他の三人は他部の助っ人に行ってしまっている。いつもの喧騒は鳴りを潜め、快い静寂が満ちていた。
 窓の外は、ばら色の夕焼けが広がっている。この、四階の部屋からは、何に遮られることなく空を堪能できる。
「ああ、夕焼けか」
 意外にも素直に傍まで寄った聡は、静かに言葉を洩らした。聡にしては、上出来だと言えよう。普段ならば、傍に寄るどころかせいぜい一瞥で終了、となるところである。
 しかし、美幸には物足りなかったらしい。
「もう、先輩反応薄い」機嫌を損ねた美幸は、さらに言葉を紡ぐ。「普段から澄ました顔しちゃって、気持ちの揺れ幅が小さいみたい。そうじゃないときって、あるんですか?」
 失礼な、と聡は眉を顰める。
「先輩ってば」美幸がせがむと、聡は軽く息を吐いた。
「なくはないが……知りたいのか?」
「知りたいですっ」
 美幸は、散歩をせがむ子犬のような瞳をしていた。しかし、そんな喜色満面の顔を見せれば聡の機嫌を損ねることは必至である。それを悟られぬよう、彼に背を向けていた。
「そう、じゃあ」
 と言って、聡が美幸の肩に指先で触れる。と思う間もなく、美幸は後ろから抱き寄せられていた。
「せ、せせせ先輩っ!?」
 驚いた美幸は聡を振りほどくどころか、緊張で固まってしまう。背中から伝わる体温に、全神経が集中する。
「……いま」
 聡の息が首筋にかかる。掠れたような声が、美幸の耳朶を打った。
「いま、平静や、ない」
 ソウデスカ、と固い声で答えた美幸は、狂ったような自分の心音を感じていた。
 平静じゃないのはこっちです! と叫びたいのを堪え、もうこの手の話題は聡には振るまい、と堅く決心した美幸であった。


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novel

2005 11 27