予断のセルフィッシュ ~美幸~

「あんた、湯ノ島ゆのしま美幸みさき?」
 そう訊く男子生徒の顔を、美幸はぐっと見上げた。彼は背が高く、体格が良く、どことなく無愛想な顔立ちをしている。
 不審げな表情のまま、こく、と美幸は頷く。
 今は昼休みだ。教室に訪ねてきた男子生徒――どうやら上級生らしい――に突然呼び出された美幸は、その理由を計りかねていた。
 短くした黒髪をくしゃっとかき混ぜると、彼はこう言った。
「じゃあ、ちょっと来て」
 と、突然、美幸の視界がぐるりっと回転した。
――やっ、な」
 なに、と問う間もなく、美幸は軽い衝撃を覚える。肩に担ぎ上げられたのだと理解したころには、男子生徒の足は軽く走り出していた。めいっぱいもがいてはみたが、彼にとっては腕の中で犬が暴れている程度にも感じないらしく、平然とスピードを保ったままである。
 美幸はおぼろげながら、どこに向かっているかの予測がついてきた。四階のいちばん奥の部屋。美幸はもちろん入ったことはないが、これで部屋の中にソファでもあれば間違いなく――
 バン! と大きな音を立てて、彼はドアを勢いよく引き開けた。
さとし、つれてきたぞ!」
 三人の男子が、少しくすんだ赤い色のソファに座っていた。ひとりは呆れかえった表情で、ふたりは呆気に取られてぽかんと口を開いていた。
 やっと下ろされた美幸は、慌てて部屋のネームプレートを仰ぎ見る。
 ――生徒会室。
じん、さらってこいと言った覚えはないが……?」
 テーブルの上を爪でカツンと弾いて、眼鏡をかけた男子が冷ややかな声を放つ。
「あれ、そうだっけ。でもどのみち早い方がいいと思ってさあ」
「ど阿呆」
 棘のある言葉に傷ついた様子も見せず、仁と呼ばれた彼はにこにこと笑っているばかりである。
――で」と、眼鏡の彼は美幸の方をちらりと見やる。
 思わずぎくりと美幸は肩を強張らせた。
 ここが生徒会室であることから、聡と呼ばれた彼が生徒副会長であることを思い出す。いったい自分になんの用があるというのか。
「な、なんですか」
 美幸はますます警戒心を強める。
「用があるのはおれじゃない」
 と言って聡はくい、と顎をしゃくった。他の連中に聞けということだろう。
 美幸は頭にカーッと血が上る。さっきの会話を聞いた限り、聡が仁に美幸を連れてこさせたとしか思えない。それなのになんだろう、この無責任な態度は。
 腹を立てた美幸だったが、ほかの三人が口々にごめんねと謝ったのでどうにか溜飲を下げた。
「ごめんね、とりあえず言い出しっぺはおれなんだけど」
 と髪を脱色した軽薄そうな男子が言う。背が高くすらっとした彼は、後ろで軽く尻尾にした髪を指でくるっといじると、親指を自分に向けてみせた。
「おれが陣内じんないゆずる。そっちの小っさいのが十柄とつかなぎ。でっかいのが草壁くさかべじんで、この無愛想な眼鏡が神尾かみおさとしね」
 自己紹介をすると、よろしく美幸ちゃん、と謙は美幸の手を握ってぶんぶんと上下に振った。
「え、あの、湯ノ島美幸、です」
 美幸の疑問符はますます大きくなった。自分はもちろんこの中の誰にも会ったことがない。副会長の顔ぐらいは知っているが。
「美幸ちゃんにおれたちの部に入ってもらおうと思ったんだけど」と仁が美幸に向き直る。
「え、はあ?」
「謙、仁。美幸ちゃんは一年生だから、そもそもこの部を知らないんじゃないの」と凪が割り込んだ。
 美幸ちゃん美幸ちゃんと馴れ馴れしいことこの上ない。親しみやすさをアピールしているのかもしれない。とにかく、と美幸は密かに胸に決める。その部とやらに入ることになったら、自分も名前で呼んでやる、と。
「ここはね、自称、情報管理部。部員派遣も兼ねていて、助っ人部または情報屋と呼ばれている。まあ、正式には認められていない部なんだけどね。もともとは助っ人ばかりやって特定の部に入らない僕たちのために聡が作ったようなもので」
 思わず美幸が聡を振り向くと、「ほら、合宿にも行けないし部員にも溶け込んでないしで寂しいでしょ」と凪が補足する。当の聡は平然と美幸を無視して涼しい顔である。
「部費は出ないから、情報を売って稼いでいるわけ」
「情報、ってなんのですか?」
 美幸が呑みこめずにいると謙が、
「生徒の個人情報。基本的なところでクラス、所属部、住所、電話番号、生年月日、血液型。交友関係、嗜好なんかもある。助っ人に行った部でいろいろ情報を仕入れて来るわけだ。情報料の代わりに情報をもらうこともあるし、新聞部と連携して写真を売ったり。教師の情報も売るし、各クラスの時間割や各部活のスケジュールも売るな」
「ええ、そんなことやっていいんですか? それに、どうやってそんな膨大な情報を管理するんですか」
「まあ大丈夫だよ。依頼者は原則ここの生徒に限ってるし、相手の個人情報はすべて握ってるから。誰がどんな情報を引き出したかもすべて記録してある。全校生徒の基本的な個人情報はもともと学校のパソコンで管理してるんだ。なんでそんな情報が手に入るかっていうと、答えは簡単、生徒会役員はアクセスコードを持ってるんだよな」
「……あくどい」
 美幸はぼそっと口にしてまたも聡を見たが、やはり無反応である。
「そもそも、一生徒が個人情報を欲しがるもんなんですか?」
「あらー、わかんない?」と謙はにやりとする。
「恋する女の子は相手の誕生日ぐらい知りたいもんでしょ? 男子は写真欲しがったりするしね。忘れ物常習犯が他のクラスの時間割欲しがったり、新聞部が各部活のスケジュール欲しがったりってこともあるけどさ」
 はぁー、と美幸は感嘆の息を吐く。
「興味涌いてきた? さあ入部しよう!」
 と自分より背の高い三人に詰め寄られて美幸はたじたじとなる。
「ちょ、ちょっと待ってください。だいたい、なんで私なんですか」
 よくぞ訊いてくれました、とばかり謙はにんまりとする。
「美幸ちゃん、運動部のマネージャーとか舞台裏の手伝いとかあちこち行ってるでしょ。それに小学校ではソフトボール、中学ではテニスやってたんだって? それだけできれば充分、充分。ちょうど女の子が欲しいところだったんだ」
 な、聡、と謙が振ってやっと聡は口を開いた。
「……だから、おれは欲しくない」
 ぷちっ。美幸の堪忍袋の緒は切れた。わなわなと肩を震わせる。
「そんなに嫌だって言うのなら――
 慌てた三人は口々になだめにかかる。
「ごめんね、美幸ちゃん。落ち着いて」
「聡、とりあえず連れてきていいって言ったじゃん」
「そうだよ、それに女の子の情報ネットワークがあるほうがいいじゃん」
 美幸は声を張り上げて言い切った。
「入部してやる!」
 ――そう、美幸はこういう性格だったのだ。


 そんなこんなで入部してしまった美幸。だいぶ部には慣れたが、やはり関門は聡である。
 今日も聡はカタカタとパソコンをいじっている。
「聡先輩」
 と美幸は呼びかける。名前で呼んでいるのは、嫌がることを見越してのただの嫌がらせである。
「部員のスケジュール管理をしてるのは先輩ですよね」
「ああ」と聡の返事は明瞭簡潔、つまりそっけない。
「当然、情報を管理してるのも先輩ですよね」
「ああ」
「……大変じゃないですか?」
「そうでもない」
 見よ、この愛想のなさを。とでも美幸は言いたくなる。入部して一ヶ月も経つというに、いまだにこの調子なのだ。
 梅雨も明けたとはいえ、蒸し暑く不快なこの空気。そこに聡とふたりきりだとは、貧乏くじもいいとこである。
「み、さ、き、ちゃーん!」
 そこへタイミングよく声がかかった。窓から半分身を乗り出して見ると、ほかの三人が下から手を振っている。
「アイス買ってきたよー!」
「やったー! いま行きますね!」
 これ幸いと美幸は部屋を飛び出す。
「先輩方、迎えに行ってきますね」
 と、とりあえず聡には声をかけておいた。


 三人とは、一階から二階に上がる階段のところで一緒になった。
「聡、どう?」と仁が振る。
「相変わらずパソコンですよ。聡先輩、なんで私にはあんなに態度悪いんだろう」
「そりゃ、聡、女嫌いだもんよ」
 謙の言葉に美幸は、えっ、と反応する。
「うっわー、不健全。勿体なーい。そんな贅沢言ってるんですか?」
 振り仰ぐと、謙は掌で口を押さえて肩を震わせていた。美幸は思わず首を傾げる。
「いやもうほんと、さっすが美幸ちゃん……」
「聡が見てきた女の子って、『じゃあ私が治してみせるわ!』ってタイプばっかりだったんだよねー」
 しみじみと凪が呟く。
「はあー、酔狂な人たちですね。放っておけばいいのに」
「……いや、実は僕たち、美幸ちゃんにそれを期待してたんだけど」
「ええっ、私がですか!? 無理ですよ絶対っ」
 二度びっくりとはこのことである。
「でも美幸ちゃん、聡に気に入られてるし」と仁がにっこりする。
「……どの辺がですか……?」
「え、だって会話はしてくれるんでしょ?」
「そうそう、美幸ちゃんって聡になびかねぇし」
「はあ?」
 美幸には話が見えない。


 押しを強くいけばお願いぐらい聞いてもらえるよ、という凪のアドバイスに則って、美幸は聡に声をかけた。
「聡先輩」
 振り向いた聡に、畳み掛けるように美幸は言う。
「部内のことは全体の責任ですよね」
「そう」
「じゃあ、謝ってください」
「……あ?」
「最初に私の承諾を得ずに、無理やり連れてきたのは部内の不手際ですよね。ほかの先輩方は謝ってくれましたけど、聡先輩だけ謝ってません!」
 聡が眉をひそめるのを見て、謙と凪は笑いをかみ殺している。仁はにこにこして見ているばかりだ。
 美幸がにじり寄ると、聡は、ふっと溜息を吐いて、
「……そりゃ、悪かったな」
 その言葉を聞いて、思わず美幸はガッツポーズをする。小さな勝利に酔いしれている美幸には、後ろの声は耳に入らなかった。
 やっぱり美幸ちゃんを選んで正解だったね、という。

<了>


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