エルフィリアは、トリルでの滞在を中止にすることはなかった。
聖女たちに会うのが煩わしいなら、予定を切り上げて帰ってしまえばよい。そんな単純なことは理解していたが、逃げ帰るのは嫌だったのだ。
それと同様に、周囲への弁明もしなかった。トリルに居るのはせいぜいがあと十日ほどだ。長期的な不利益はないので放置しても問題はないという考えがあった。
そして、聖女たち本人の誤解を解くのも面倒だ。放っておくことで重大な損失が出るなら別だが、一方的に絡まれただけのこちらがわざわざ場を設け話し合いをするというコストを払う必要が見出せない、という点が大きい。
要するに、相手をするまでもないし、そこにコストを割きたくもないのである。
「相変わらず合理的ですね、お嬢様は」
「そういうアルカレドは、ダジルさんに内情を分かっていただきたいのですか?」
「……いや別に、あいつと分かり合いたいわけじゃねえんだよな」
途端に面倒そうな顔になったアルカレドに、エルフィリアはほら見なさいという気になった。そう、たいして分かってほしい相手でもないのである。
この日も迷宮に潜っていたが、エルフィリアの進捗は二十五層に到達していた。
ここら辺りの階層の等級は、四相当ぐらいだろうか。三十層を越えれば、五辺りになるのではないかという手応えがある。
「アウェス種!」
二十五層のボスはアウェス種だった。アウェス種は外で見ることの方が多いので、迷宮内のボスで出るというのは比較的珍しい。確か、この魔物は風切雁と呼ばれる種類だ。羽を広げた大きさは鷲の四倍ほど、八メートルはありそうだった。
敵は風魔法でこちらの足元を狙ってひっくり返そうとしてくる。エルフィリアの運動能力ではそれを避けるのは難しく、堪えようとすると膝をついてしまう。
「《土をここに》!」
直接防ぐなら、物理的な壁を作ってしまう方が早い。エルフィリアは視界を確保しつつ咄嗟に胸元までの土壁を作ったが、アルカレドはそうするまでもなく器用に避けていた。
そして、狙いを変えさせるためか、アルカレドはその土壁の上に飛び乗ったのだ。
「あっ……道を作ります!」
思い立って、エルフィリアは杖を握りしめた。敵の風魔法が途中で軌道を変えることはなかったので、一回ごとに狙いを定めているはずだ。
「――《土をここに》!」
エルフィリアは土壁を次々と、魔物に向けて階段状に出現させた。アルカレドは心得て、その上を飛び移っていく。
グァッと魔物が鳴いたかと思うと、次の瞬間には首が落とされていた。
「――お見事です」
「いや、飛ぶやつの相手は面倒なんで助かりました」
面倒、としか言わないところを見ると、飛び道具がなくともタイミングを計れば倒せる目算はあったらしい。
――何はともあれ、鳥肉の確保である。魔物肉ではメジャーな部類だ。狩りやすいレプス種を筆頭に、アウェス種、ボア種辺りが一般的なところだ。これらは、迷宮の外でよく獲れる獲物でもある。
「風属性だし、ちょうどいいんじゃないですか」
「――何がでしょうか?」
「羽毛でクッション、作れますよ」
――それがあったか、とエルフィリアはまたたいた。羽毛だと感触もかなり良いし、羊毛で作ったものと比べるのも楽しそうだ。
しかし、すぐに活用法が思い浮かぶあたり、アルカレドもだいぶエルフィリアに染まってきたようである。
「――あ、羽毛だと軽いからジャケットも作れますね」
エルフィリアの方もすぐに応用を思い付く。今は季節柄必要ないが、風属性で物理耐性特化にしてもよし、氷属性なら耐寒特化にしてもよし、とわくわくしてきた自覚があった。
羽根をむしるにも時間が掛かる。血抜きだけ担当してあとはアルカレドに任せ、エルフィリアは一足先に茶の用意をした。
「なに食ってんです?」
戻ってきたアルカレドは、エルフィリアが簡易なおやつを齧っているのを見て声を掛けた。
「ハニーバーです。アルカレドの分も作っておきましたよ」
「……いつの間に」
バーを受け取りつつ、アルカレドは思わずといったように声を洩らす。
ドライフルーツやナッツ類を蜂蜜で固めて細長く切り分けた一品だ。手が汚れないように、コムの紙で包んである。コムの木は、繊維を叩いて紙にすると蝋引きしたような仕上がりになるのだ。防水加工用に樹液が利用されている木でもある。
アルカレドが驚いたのは、彼の知らない間に作業していたからだろう。エルフィリアが何かを作る際、近頃では作業場か調理場に行くのが常だったからだ。そのときは勿論、護衛としてアルカレドが付いてくる。
しかし、実際は宿の部屋で作業できないこともない。拡張式鞄に器具や材料は揃っており、魔法を使えば加工もできる。魔術炉やオーブンが必要でもなければ、さほど困らないのである。それを敢えて出向いていたのは、閉じ込められると不機嫌になるアルカレドを外出させるとともに、リモーネに会いに行っていたという理由が大きい。
大口でハニーバーを頬張るアルカレド。紅茶は無糖だが菓子は食べる。
「アルカレドは……甘いものはお好きですか」
「いろいろ食わせてもらってるんで、美味いとは思ってますが」
「以前もですか?」
奴隷になったのが三年前ならしばらく菓子など口に入ることもなかっただろうが、それより前は欲しければ食べられたはずだ。
アルカレドの事情をなし崩しに知ることにはなったが、さりとて個人的なことを尋ねるのは少々躊躇してしまう。
そんなエルフィリアの戸惑いを気にせず、アルカレドはさらりと返答した。
「上品なケーキなんかちまちま食うのは面倒だと思ってましたが、エネルギー補給になるんでチョコは食ってましたね。……好きかどうかはあんまり考えたことねえな」
「そうでしたか……甘さ控えめのものと、甘いものだとどちらがお好きですか」
「美味けりゃどっちでも」
特にこだわりはないらしい。これまでの傾向を見ても、評価点は恐らく甘いか甘くないかではなく、腹に溜まるか溜まらないかである。
「そういえば……知り合いに会うかもしれないと言っていたのは、ダジルさんのことでしょうか」
「あー、まあ……あいつと限ってはなかったんですが、一応は隣国ですからね。国を出るやつもいるかと思って」
一般的に、ランドイットの隣国として名前が挙がるのは別の国である。しかし、アルカレドの故国コロウとも、一部だが国境を接しているので近い国ではあるのだ。
クーデター時の“武力”としてのアルカレドの価値はそれなりにあったので、他国まで探しに来る可能性がないとは言えない、という程度らしい。ダジルは「やっと見つけた」とはっきり言っていたので、アルカレドを探していたことは間違いないだろう。そのために冒険者になったという解釈も成り立つ。ギルドに籍を移せば、国境を越えることが容易になるからだ。
「ダジルさん、また来られるでしょうか」
「来るでしょうね……ギルドには行かない方がいいかもしれません」
迷宮から戻った後は素材を売りにギルドに寄るのが常だが、それを見越して待ち伏せされている可能性もある。
「しかし、ダジルさんに事情は聞かなくてよろしいのですか」
「いいんじゃないですか?」
アルカレドはすっかり他人事である。
確かに、自国がどうなったかを知りたいだけなら、情報を集めれば済む。その他のことも推測だけならできるのだ。他国にまでアルカレドを探しに来たということは、何らかの障害が片付いて少なくとも余裕ができたということだ。もし予断を許さない状況ならば、冒険者にはなっていないだろう。同様に、他の奴隷も探されているのかもしれない。どこに売られたかさえわかっていれば、買い戻せるからだ。――まさか、アルカレドが犯罪奴隷に堕ちているとは思っていなかったろうが。
「理由はどうでもいいんだが、探してたってことは連れ戻したいんでしょう……面倒だな」
つまり、戻りたいとも思っていないのでどうでもいいというわけだ。なにかにつけて、やたらと面倒がる従者である。
エルフィリアは聖女、アルカレドは元部下、と互いに厄介な輩に目を付けられたものであった。
2023 08 08