加工中のマントを少し置いておく間に手を洗って、エルフィリアは食事の支度をする。
鞄の中からわさっと出てきた食材に、アルカレドは呆れた顔をした。
「――こんなに買ってたんですか」
「こんなにというか……売っているパンが一斤単位なので、それに合わせたら仕方がないと思いませんか?」
パン、レタス、トマト。サンドウィッチの一般的な具材と聞いて用意したものだ。洗った後、レタスは手でちぎり、トマトはある程度の厚みで輪切りにする。卵があっても良かったが、外で食べるのに工程の手間は省きたいという気持ちがまさった。
「で、今回は調味料はあるんです?」
「ええと……バターと塩ならありますけれど。それから、アリエス種の塩漬け肉」
「あー……なるほど。塩漬け肉が食べたくて準備したんですね?」
アルカレドにはお見通しだったらしい。寮で食べるわけにもいかないので、エルフィリアにはこういうときしか機会がないのだ。
結局、パンにバターを塗って済ますことにした。今後は何か瓶入りの簡易ソースがあれば買っておくといいとも言われたが、似たような物を魔物素材で作ってみても面白そうである。他にも胡椒とか、生姜とか、ピクルスとか、といろいろ続きそうだったので、今度食料品店で訊いてみようかと思う。
「ところでサンドウィッチ用のパンというのは、どれぐらいの厚さで切るのですか?」
「いや、そんなもん、好きにすればいいですが。ただ、挟んで食べることを考慮して決めないと腹いっぱいになりますよ」
なるほど、一度にパンは二枚必要なのだ。一つ食べたら充分そうだったので、エルフィリアは心持ち薄くパンを切った。貴族が食べるパンよりは硬く、腹に溜まりそうに見える。
次に塩漬け肉を切ろうとすると、アルカレドから待ったが掛かる。
「先に塩抜きをしてください。あとそれ生だから、食う前に焼かないと」
「詳しいですね、アルカレド」
遠征に行ったときにちょっと、とアルカレドはますます過去を謎めかせる発言をする。
塩抜きには薄い塩水にしばらく浸けておくといいようだ。元々薄めの配分で作ってあるので、そこまで時間を掛けなくてもいいだろう。
「……手持無沙汰になりますね。先に装備の方を仕上げましょうか」
食材は器に移して、汚さないように覆いをかける。心配になったので結局、一度鞄に仕舞ってしまうことにした。
エルフィリアは、小瓶を荷物から取り出した。カラクレの実の抽出液を入れたものだ。これは、染色剤などの定着に使われている。
杖の先に小さな水球を浮かせ、そこに抽出液を何滴か混ぜる。それを魔法でミスト状に拡散した。
「《其は細雨となり雲霧となり漂動を示せ》」
マントの上にだけ被るように範囲を調節する。裏返してから、もう一度。
「あとは洗い流してしまいます」
水球にマントを二枚とも入れて、ジェル部分を洗い落とす。この行為にも慣れてきたので、洗い方のコツもつかめてきたような気がする。洗い終わると乾燥に移る。魔法で作った水ならば、魔素に分解するのも簡単なのですぐ乾く。
エルフィリアは、出来上がったマントを手に取って確かめた。
生地が硬くなっていたり引きつれたりなどの不具合は、見たところ特にないようである。
「――アルカレド、着てみて頂戴」
エルフィリアは手招いてアルカレドにマントを着せる。
「少し後ろに下がって――いえ、そちらの広いところに出ましょうか」
「――待て、あんた、何をする気だ」
エルフィリアは腰の辺りに手を触れ、ホルダーから杖を取り出した。
「大丈夫です。少々耐電試験を行うだけですので」
「――大丈夫じゃねえんだが!?」
「――問題ありませんでしたね」
「――問題大ありでしたがね」
あれから一段落して、二人で茶を飲んでいるところだ。
エルフィリアは作り置きの茶は嫌いなので、ティーセット一式を準備してきている。
「あら、どこか不具合でもありましたか?」
「不具合はないが問題しかない。それ、俺で試す必要ありました?」
アルカレドは不服そうだが、エルフィリアにはそれが疑問だ。合理的に考えて、必要なことをしたと思っている。
「機能の確認もせずに、いきなり本番で使わせる方が不誠実だと思いますよ。あとは使用感の確認も必要ですし、見た目上は問題なくとも、威力が貫通しないかどうかは着用してみないとわかりません」
「それは……そう、ですが」
文句を言いつつも、理由はアルカレドも納得せざるを得ないようだった。
「あー……あんた、ご友人方にもそんな調子なんですか?」
「どういう意味かわかりかねますが。必要があれば、友人には丁重にお願いします」
「俺に、それがないのは奴隷だからですか」
「――無論です」
エルフィリアがきっぱりと答えすぎたのか、アルカレドははっと口を閉じた。
そうこうしているうちに、エルフィリアのサンドウィッチは完成している。薄く切ったパンにレタス、トマト、塩漬け肉を挟んだものだ。そのままでは大きくて口に入らないので、ナイフを入れて四つに割る。
「――母なる恵みに感謝を」
一口食べると、肉は美味しかったが確かに少し味がシンプルだな、という感じはした。パンはぱさぱさしてやや噛み応えがあったが、これはこれで悪くはない。今後の機会があれば、別の味付けも試してみたいものである。とはいえ、体感したということに対する満足度は高い。
「残りの食材はアルカレドに差し上げますので、好きに食べても、持って帰っても、構いませんよ」
「……こんなにあるのに、もう要らないんですか?」
「初めから、全部食べるつもりはありませんでしたよ。先にも言った通り、パンが一斤単位なのです。日持ちもしませんし、持ち帰っても困るだけなので」
「……では、頂きます」
と、しおらしくアルカレドは答えた。
食材の残りで、アルカレドも似たようなものを作り始める。パンの厚みはエルフィリアのときの倍ぐらいあったが、二枚使わずに、食材を乗せると半分に折ってかじり始めた。なるほど、ああいう食べ方もあるのだな、とエルフィリアは感心する。
「……アルカレド。あなたは私に、丁重に扱われることを望みますか?」
アルカレドは、口の中のものを咀嚼して飲み込んだ。ごくん、という音が心なしか大きく響く。
「……いえ、望みません」
――それは、奴隷だからだ。
その問いが、初めてまともに言葉を交わしたときと同じ性質のものだと、アルカレドは気付いたのだ。
アルカレドはエルフィリアに近づきすぎた。期待しすぎた。それが過ぎれば依存になる。
――そのことを望むのかと、エルフィリアは訊いたのだ。
現状は、どうしたって奴隷と主人なのだ。ただでさえ対等でない関係は、距離を踏み誤れば歪になる。
「アルカレド、パンを一枚切って頂戴」
エルフィリアは、いつもの素振りでアルカレドに命じた。その間に鞄から網とスタンドを取り出す。
パンを受け取ると、網に乗せて火で炙った。少し考えてから、ミスト状の水を少し含ませる。乾燥しているので、その方がふっくらするかと思ったのだ。
「焼いて食べることもあると聞いたので、試してみようかと」
エルフィリアの容量を鑑みてかパンは薄めに切られていたので、早めにひっくり返した。
鞄の中に手を入れて、さてどれにしようかと考える。
――そうして取り出したのは、マーマレードの瓶だった。魔物産のものである。
バターを塗るのも美味しそうだったが、別の味を試したくなったのだ。スプーンを使って、炙っている最中にマーマレードを乗せる。しばらくするとその分も温まって、甘い匂いが立った。
「アルカレド、パンを半分に割って頂戴」
「――あ、えっと、はい」
エルフィリアはアルカレドに声を掛ける。自分でやると、熱くて落としそうだと思ったのだ。そういえば、生前の記憶ではうっすらとした火傷痕がいくらか手に残っていた。そそっかしかったのかもしれない。
半分に割いたパンを皿に乗せてもらい、エルフィリアは熱々のパンの端をかじった。
「……うん、サンドウィッチを甘くするのも美味しいかもしれませんね」
さくっという食感と熱と甘さのコントラストがなかなか面白かった。こういうパンは甘いものを合わせても意外といけるものらしい。
「……あの、お嬢様、もう半分の方は」
「お食べなさい」
戸惑っているアルカレドに声を掛けて、エルフィリアは茶をもう一杯、用意した。
2023 04 12