第二章 第一話

 カシン、と剣の刃が合わさり、陽光を白く反射する。
 もう一度、がきん、と刃を合わせ、両者は飛び退るように距離を開けた。
「どうした、息が上がってるぜ? もうやめにするか」
 相手の剣筋に対応できるよう、剣先をわずかにゆらゆら動かしながら、剣を構えたまま黒髪の少年はにたりと笑う。
 対する碧髪の少年は、汗で張り付いた前髪を左腕で払いつつ、それを聞いてむっとしたように目の光を強くした。
「まだまだあっ!」
 叫びつつ剣を突きの型に構え、少年は全力で突進する。
「なんのっ!」
 素早く反応した黒髪の少年は、防御の型を捨てて、下から力いっぱい相手の剣を撥ね上げた。
 きぃんっ、と澄んだ音を立て、撥ね飛ばされた剣はくるくると上昇し、そして落ちた。地面でカラカラと半円を描き、静かに止まる。
「よっし、おれの勝ちだな」
 黒髪の少年は片手を拳の形に握り込んで、自らの勝利を宣言する。
 座り込んだ碧髪の少年は、荒く息を吐きながら地面に寝転がってしまった。流れる後ろ髪は剣の邪魔だとばっさり切ってしまったため、首の後ろが少々寂しい。
「こら、カイザー、実戦で全力使い切ってたら死ぬぞ。逃げ足分の体力ぐらいは残してから挑めよ」
「体力馬鹿のリーンと一緒にしないでよ」
 ふくれっ面のカイザーは、よいしょ、と反動をつけて上半身を起こす。
「ま、始めて一年ぐらいだからな、こんなもんじゃねえ?」
「うん、まあね」
 リーンの言葉に、カイザーは穏やかに答える。
 漠然と感じていた思いが、ファキたちと行動するようになって強くなり、カイルがいなくなって確実に思い知った。
 ――自分は、役立たずだということ。
 カイルの様に魔法は使えず、他の者のように剣が使えるわけでもない。だからカイザーは、リーンに剣を習うことにした。カイルが戻って来ないのなら、なおさら自分の身は自分で守るしかないのだ。
 剣を習うという行為は、カイルが戻って来ないということを確認する儀式だった。カイルに期待しないということは、カイルを諦めるということに等しい。依存と思慕がごちゃ混ぜになったカイルへの思いを、カイザーは剣の一振りごとに断ち切っては涙を流した。
 悲しみの一方で、その行為は良い方にも作用した。剣を使えるようになって自信が付き、カイザーは以前ほどおどおどしたところがなくなった。記憶の欠如に怯えることもなくなり、カイザーの人生は丸ごと自分ひとりのものになった。それは、なんという解放感と寂寥感だったろう。
「まあ、リーンが一番だって言ってられるのも今のうちだよね」
 さらりと言って、カイザーは一矢報いた。リーンが、ぐ、と詰まる。
 五本に四本は勝っていたキルとの勝敗が、五本に三本、という割合に迫られているのだ。キルは力よりは技を得意とする使い手で、おそらくは、かなり出来る者に教わっていたのではないかと思われる。最近では成長して自然、力が付いてきたため、力と技が合わさって、それなりに厄介な対戦相手に育ってきているのだった。
 ところで、ここ半年ほど、彼らは魔物の噂をずっと追ってきている。襲われたという話はあまり聞かないが、門を壊されたとか、家畜が食われた等の小さな被害はいくつか聞く。しかし不思議なのは、彼らがその噂の出所にたどり着いたところで魔物が出なくなるのだ。確認のため何泊かしてみたところ、今度は隣の隣ぐらいの町でまた噂が発生しているという。
 おびき寄せられるかのように噂を追っていく彼らだったが、地図をぐるりと一周して戻ってきてしまうこともあり、噂はある一定の方角に向かって進んでいるわけではなさそうなのだ。
 二ヶ月ほどでそのサイクルは安定し、ファキは国が心配になってアーサーと共に一度戻った。しかしまたそろそろ合流する予定である。
「そろそろ、魔物の方も目新しい何かがわかればいいのにね」
 そう言って、カイザーはため息をひとつ吐く。


 その夜、リーンはふと目を覚ました。
 いつもなら真夜中に目が覚めるなどということはほとんどないが、早寝がたたって睡眠のリズムが崩れたのかもしれない。翌早朝にはファキの国へと出立する予定になっている。
 横になっているソファから軽く起き上ると、窓が開いていて、さやさやと夜風が流れ込んでいた。皓皓とした月明かりが、床にくっきりと窓枠の影を映し出している。
 あれ、窓閉めなかったけ、とぼんやり思いながらリーンが首を巡らせると、ベッドですうすう眠っているのはキル一人で、カイザーの姿がどこにもなかった。
 まあちょっと手洗いとか、水を飲みに行ったとか、その程度だろう、と思ってリーンは再び布団を被った。が、寝付くどころか目が冴えてしまった。とりあえず起き出して窓際に近づく。気分がもやもやしたのは窓が開いているからだ。そろそろ涼しい季節に切り替わるこの頃に、窓が開いているのは変だ。一度そう思うと、気になって仕方がない。
 妙な気分が募り、窓を閉めると、リーンはカイザーの眠っていた跡があるベッドに手を潜り込ませてみた。
 ――冷たかった。
 手洗い程度ならすぐに戻って来ないのは妙だ。外に出かけたにしては、財布や剣は置き去りのまま、それどころかブーツすらベッドの脇に放りだしたままになっている。
――おい、キル」
 結局、リーンはキルを起こすことにした。寝起きの悪い身体を何度か強く揺さぶると、不機嫌そうな唸りを上げてキルはうっすら目を開けた。
「……何の用だ、寝かせろ」
「カイザーがいないんだって!」
 また眠りに帰ろうとするキルを必死に揺さぶり、リーンはなんとか状況の説明をした。それを聞いてやっとキルも夢うつつの状態から抜け出した。
 用足しが長引いただけの取り越し苦労ならそれでいい。しかしなんだか嫌な予感がして、二人はカイザーを探しに出ることにした。身支度を整え、帯剣すると、夜気に対抗するためにマントを羽織る。
 出来るだけ音をたてないように静かに階段を降り、二人は宿の裏口からそっと滑り出た。
「……遠くに行ってないといいんだけどな」
 リーンはぼそりと呟いた。念のため厠を覗いてみたが、やはりもぬけの殻だったのだ。
 外に出かけたとしか考えられないが、ブーツが脱ぎ捨てられたままだったのがどうしても気になる。
「なあ、もしかして今度は夢遊病とかそんなんじゃないだろうな」
「さあな」
 キルと二人だとどうにも会話が弾まない。小さく息を吐くと、リーンは上方に視線を動かした。
 その瞬間、ぎくりと強張ったリーンに気づいて、キルもそちらに目をやった。
 闇に黒い生き物が飛んでいる。ばさりばさりと翼を打ち振るそれは、蝙蝠の翼を持つ、鳥型の小柄な魔物だった。
「ここに来て魔物かよ」
 思ったより殺傷能力の低そうな魔物に、リーンは安堵と緊張のないまぜになった息を吐いた。
 その魔物は、二、三羽ぱさりぱさりとどこかへ飛んでゆく。それを追ってゆくことをリーンとキルは目線で了解し合った。折しも月明かりで、追跡は困難さの欠片もない。
 とはいえ、数ヶ月追っていたはずの魔物と行き合って、リーンの心臓は逸っていた。
「このタイミングでってことは、やっぱりカイザーと無関係じゃないんだろうな。闇に関係してるって言ってたし。なあ?」
「……さあな」
 とりあえず無駄口は謹んで、二人は追うことに専念する。


 結局、魔物がその小さな翼を休めたのは、小一時間も追ったのちのことだった。
 リーンとキルは荒く息を整えるが、見失うほどのスピードでもなかったため、体力は温存されている。
 宿のあった町を出て、隣町まで踏み入っていた。郊外の、少し明かりがまばらになっているようなところだ。
 鬱蒼と茂った木々の中に、先ほどの魔物を加えた何羽かが、ねぐらに帰った雀のように枝に並んでいた。
 横に張り出した枝の上に座った人影が、じゃれるようにぱさりぱさりと纏わりつく一羽を、指先でもてあそぶようにしていた。
「……なあ、あれ、もしかしてカイザーだったりする?」
 影の塊に身を強張らせたリーンだったが、数瞬ののちにそれが少年だと気付き、警戒のレベルをいくらか下げる。魔物だと思うよりは人だとわかった方が、どことなく安心する。
「さあな。確かめるよりほかないだろう」
 そう言うと、こそこそすることにうんざりしたように、キルは人影へと近寄りだした。鞘を払った抜き身を掲げたままだ。リーンは少し躊躇ったが、結局はキルに倣って後へ続いた。
 近寄って木の上の少年に声を掛けると、彼は斜め下に視線をやって、あ、と間抜けな声を吐いた。
「……バレたか」
「カイザーだよな。下りてこい。そんで説明しろ」
 リーンは溜息を吐いて、剣を鞘へと収めた。カイルと出会ってから、魔物だ魔法だ王族だと、妙な展開に行き合ってばかりいる。深刻さの欠片もない目の前の人物の態度に、リーンは虚脱感に襲われる。若干魔物慣れしていたこともあって、傍で魔物が飛んでいようがなんだろうが、もう感覚が麻痺したとしか思えなかった。
 少年は、枝の上に立ちあがって、そのままひょいと飛び降りた。
 ひゅうっという滑らかな落下は、地面の上を拳一個分ほど残して止まる。白い素足が、夜に浮いていた。
 リーンとキルは息を呑んだ。暗闇の中にも、月明かりで少年の容貌がよく見えたからだった。
「……違う」
「ほう、夢遊病説に一票だったみたいだな」
 リーンの呟きに、キルの反応が重なった。
「笑えない冗談で混ぜっ返すなよ」
 リーンは眉を顰めたが、視線は外さなかった。
 少年の顔立ちは、紛れもなくカイザーだったが、その表情は彼のものではなかった。青いはずの髪は夜の中でもそれとわかるほど淡い水色に彩られ、月に光る瞳は紅玉の様な紅だった。
――で、なんなんだおまえは。人間? 魔物? カイザー?」
 リーンはいらだちを含んだ声で尋ねる。魔物かと訊いたのは、少年が宙に浮いていたからだ。しかし、顔を見る限りカイザーと無関係だとは思えない。むしろ、カイザーだろうなと思えた。こいつ空まで飛べるのか、なんでもありだな、といういらだちだった。
「そうだな、確かにこれはカイザーの身体だ」
 少年は両手を胸の高さにまで上げ、自身を見るように視線を落とす。少し、笑いを含んだような声だった。事の成り行きを面白がっているような。
「……中身は違うのか」
 とりあえず突っ込んでおいてやるか、という投げやりさでキルが尋ねる。その顔を見て、やはりおかしそうに少年は口許を緩めた。
「そうだな、おれはカイザーの中に封じられている“闇”だ。闇が人格を持ったものだ。カイルがいなくなったから、自由を満喫しているところさ」
「カイルがいると出て来れないとでも言わんばかりだな」
「そのとおりさ。カイザーは魔法を使えないし使わないからな。おれを解放することができない代わりに、おれを完全に封じておくこともできない」
 詳しいことはわからないが、カイザーが自分は闇に関係があると評した言葉は正しかったらしい。
 しかし不思議と、リーンとキルは恐怖を感じなかった。カイルの本性を見たときの、あの得体の知れない、ざわつく感じはなく、沸き起こる猜疑心と嫌悪感を数えても、せいぜいがいらだちという言葉に収斂する程度だった。
 相手に敵意が見られず、闇であり魔物に関連するもの、という情報が始めから開示されている所為かも知れなかった。
「……おまえは、カイルの言う予言の成就の意味を知っているのか?」
 リーンが尋ねた。あれほどに、悩んで捜した答えの端が、こんなに近くに潜んでいたとは思いもしなかったが。
「わかっているさ。予言の“闇”とは、おれのことだからな」
 そんなことをさらりと言って、闇はクククと笑った。


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2010 12 30