祭りを堪能し、二日ほど滞在した一行は、宿を出て山道へと進路を定めた。
 宿の主人から、運搬の仕事を引き受けたのである。路銀のほとんどはファキとアーサーの懐から出ていたが、無尽蔵に金が出てくるわけではないので、たまにこうやって軽い仕事を請け負っている。今回は、一山越えたところにある町まで荷物を届けると、届け先から報酬が出る。月に一度の定期便が行ったところで、宿の主人にとっても渡りに船だったらしい。
 山道ということで日が暮れることは予想されたが、山頂に旅人用の山小屋があるらしく、良く使用されているので備品も補充されているという。丁度いいと、もともと日が暮れることを見越して一行は午後に出発した。
 今夜の宿は決まっているとはいえ、段々と静かに、夕方の気配が濃くなって夜の訪れを喚起させる山中に、わずかに気分が沈む。
「嫌な予感がするな」
「あー、やっぱり? おれも……」
 ぽつり呟いたキルに、重く疲れる足を叱咤して、リーンが同意した。リーンの肩に、荷物が鈍くじわりと圧しかかる。一番体力があるので、リーンの荷物が一番重いのである。
 よっこいしょと肩を揺すってリーンは視線を上げ、目当ての山小屋を目に収めた。
「あ、あれだ」
 勢い込んでリーンは足を駆けさせるが、背負った荷物をキルとカイザーがつかんで引き止めた。その勢いでバランスを崩したリーンは、うっかり転びそうになってしまう。
「なにすんだよ、危ないな!」
「待って」
「見ろ」
 彼らの促しに、うん? とリーンは屋根の方向に目をやる。つられてそちらを見やったファキとアーサーが、息を飲む音がした。
 屋根の上に、大型の鳥のような生き物が留まっていた。部屋の窓に現れた、あの魔物だ。一行に付いてきたらしい。しかも一羽ではなく、二羽、三羽――六羽ばかりの数である。
「嫌な予感、的中……っていうかなんだあれ、いすぎだろ!」暫し呆然としていたリーンは、次第に憤りを顕わにした。
 魔物も既に、彼らの姿を認めている。ばさり、と翼を広げると、一羽が一直線にこちらへ突っ込んできた。
「うわっとうお!」
 妙な声を上げ、リーンは身体を横に揺らしてその攻撃を避ける。それに続いてもう一羽が飛び込んできて、リーンは咄嗟に勢いを付けて身体を反転させ、背中の荷物でその魔物をぶっ叩いた。
「馬鹿、何してる!」キルの叱責に、
「だって重いんだよ、これ! ちょっと下ろすわ」と告げて、リーンは背中の荷物を足元にどさりと投げ捨て、次の瞬間には腰の剣を抜いていた。
 キル、ファキ、アーサーも次々と獲物を手にする。攻撃手段のないカイザーだけが、何も出来ずに皆の背に護られていた。
「どおりゃ!」
 気合を入れて、リーンは魔物が突っ込んできたタイミングで切りかかる。
 しかし、ぎぃん、という鋼のような音と共に、彼の剣は弾き返されてしまった。
「なんだこいつ、すげえ硬いぞ!」
 気をつけろ、と警戒の意を込めてリーンは仲間に注意を促す。切れはしないが、殴打は効果があるようだった。恐らく、与えた振動が内臓を揺さぶってダメージを蓄積させるのであろう。
 そういう意味ではファキの棍は有効だ。ぶん、と唸りを上げて身体の捻りと勢いを乗せ、棍を振るい、突く。腹の辺りが弱いらしく、巧く急所を突けば魔物の勢いは緩む。
 しかし、次第に魔物もこちらの闘い方を覚えたようだった。容易には腹を見せず、スピードを上げ頭を下げて突っ込んでくる。一番硬いのは外側の翼だ。刃物のように硬く、しなやかで触れれば切れる。
 既に、リーンの頬は切り傷から血が流れていた。ファキの場合は獲物のリーチが長いため、まだ傷を受けずに済んでいる。
 なんとか互角に闘っているとはいえ、一羽ならともかくもこの数は酷だった。
 ぎゅんぎゅんと飛び交う魔物に気圧されて、一行は一箇所に固められ、集中攻撃を受けていた。キルが、ちっと舌打ちをする。
「駄目だ。埒が明かない。一旦散れ!」
 とは言え、一人ずつ集中して狙われれば危険だ。しかし、一行はキルの言葉に従い、攻撃の隙を狙っていっせいに四方へ散った。
「一箇所に固めろ!」
 先ほどの状況を逆転させようというのだ。彼らは剣を振り、棍を振るい、襲い来る攻撃を避けながら巧みに魔物の動きを誘導していく。背中が心もとないが、仲間と距離をとれば攻撃の範囲もまた広がるため、極端なマイナスにはならない。
 ここでも、棍が活躍した。棍の動きは直線ではなく曲線を描く。攻撃の手を緩めず、動きを持続したまま方向転換が出来るからだ。いつぞやファキがリーンたちを襲った際は頭に血が上っていて直線的な攻撃になったが、これぐらいはファキにもできるのである。
「そのまま……その態勢を保て」
 キルは命令すると、数歩下がって一行と距離を置いた。
 心得たアーサーが近くに寄り、キルに近づく魔物を追い払う。ファキとリーンは引き続き魔物を追い詰め、カイザーはキルの背中に隠れた。
 ファキとリーンの獲物に追い込まれた魔物は、宙に浮いたまま一箇所にまとまろうとしていた。
――いまです!」
 アーサーの声が鋭く合図を叫び、キルは顔の前にさっと掌を突き出した。
――来たれ、<炎の矢>!」
 どん、と音を立てて紅い炎が爆ぜた。


 仕留めた、と確信して気を抜いた瞬間、燃ゆる黒い塊の中から、一羽が飛び出した。
 それは身体を嘗める炎をまといながら、垂直に飛び上がり、曲線を描いてぐうっと曲がった。そして、キルへと真っ直ぐ突っ込んだ。
 アーサーは反応が遅れた。キルは魔力の集中のために剣を鞘に収めたままでいた。カイザーは剣すら持たず、蒼白の顔を凍りつかせた。
 誰もが、最悪の事態を想像した。
 キルの顔は炎に焼かれ、その滑らかな肌はぼろぼろになるだろう。陽光を飲み込んだような金の瞳は黒い嘴に潰されるだろう、と。
 ――しかし、その懸念は現実のものとはならなかった。
――来たれ、<大地のつち>!」
 どん、と空気が震えるような音が鈍く響きわたった。魔物がどさりと地面に横たわる。
 地面から、つららを上下逆にしたような土の塊が何本も立ち上がり、魔物を叩き潰したのだ。
 一瞬の静寂のあと、土の柱は用を成して土くれへと姿を戻した。
「……な――
 驚愕の呟きがリーンの口から洩れ、魔物の鳥は一羽残らず退治されたのに、身体を強張らせたまま誰も動かなかった。
「あーあ、残念。もうちょっと切り札とっておくつもりだったのにな」
 清涼な声が言葉を吐く。
 後ろに束ねた青い髪が、肌寒い風に揺れた。
 宵闇が迫る前の、紅い、真っ赤な夕日の名残を背にしながらも、瞳は煌めく。翡翠のように、深く、透き通るような翠色で。
――なん……だ、何者だ、おまえは。おまえの目的はなんだ!」
 恐怖に持っていかれないように、腹に力を込めて、キルは声を張った。
 それに反応して、カイルは翡翠の色を歪めて薄く笑う。
 一行にぴりっとした緊張感が走っていた。自分の常識が揺らいだような気分を味わったからだ。使える魔法は一種類。それが、魔術師の、世界の制限だったはずだ。
 しかし、カイルは風の魔法を操る身でありながら、大地の魔法を操った。
 リーンは魔術師ではないため、その戦慄を身に沁みて思ったわけではなかった。
 しかし、ならば、カイルの目的はなんだ。
 自ら数種の魔法を操るのであれば、この旅の目的はなんなのだ。魔法を見たいなどという理由のわけがない。
 カイルはにっこり微笑んだ。
――予言の成就。三人の王を集めないとね?」
 そうして、その声を最後に、カイルは彼らの前から姿を消した。


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2009 05 23