第五話

 人の気配に、リーンはふと目を覚ます。
 早朝特有の、冷えた空気が辺りに満ちている。視界はまだ薄暗いのに、カーテンだけがぼんやりと白く浮かび上がっているようで、真の暗闇とは違って視界に入るものの輪郭が見てとれる。夜と朝の境目を過ぎたばかりだった。
 ベッドから身を起こすと、もうキルが目覚めていてベッドの上にあぐらをかいていた。
「ふぁ、はあ、おはよう……早いなおまえ」
 中途半端な欠伸を放ちながら、リーンもベッドの上に座り込む。一日寝ていたおかげで熱はすっかり下がったようだが、寝すぎた所為で逆に気だるくて、されど眠気はすっかりどこかへ行っていた。
「いや、ちょっと目が覚めた」
 珍しくおとなしくキルは返答を寄こす。しかしすぐに沈黙が辺りを支配した。重苦しい沈黙ではなく、どことなくぼんやりとしたそれだった。
「ま、いっか、もう起きちまおっと」
 リーンは身支度を整え始めた。ブーツの金具を止める、かちりかちりという音が、薄闇に響いた。
 まだ宿の朝食が食べられる時間ではないだろう。朝の鍛錬でもして目を覚ますかな、とリーンが思ったとき、寝返りをうったカイルがベッド代わりのソファからどさりと落っこちた。
「うえ、痛い……」
「なにやってんだおまえ……」
 カイザーとは違い、カイルは寝つきも寝起きも良かったが、寝相はひどく悪いようだった。幅が狭く丸みのあるソファの上で、よくぞ夜明けまで落っこちずに持ったものだと言っていいだろう。
 頭をさすりながら起き上がったカイルは、リーンとキルを見て、あれ、と声を上げる。「もう起きる時間?」
「いや、寝てていいぞカイル。まだ朝飯も出てこないし店も開いてない」
「むう、二人ともずるい。おれだけ仲間はずれにするつもりなんだ」
「どっからそういう思考が出てくんだよ……」
 膝を伸ばしたり肩を回したり、身体をほぐしつつリーンはカイルと言い合った。
 びっちり閉じこもった暗い部屋に、男三人。その図がなんとなく嫌だなあと思ってキルは窓際に行ってカーテンを開ける。冷たい空に、雲が流れていく気配がした。
 そんなキルを振り向いて、カイルは「不思議だね」と話しかける。
「なにが」
「うん、我に返らない? おれたち、こんなとこでなにしてんだろう、って。どっかですれ違ってたら、まだ一人で旅してたかな、ってさ」
「そうだな」キルは微笑する。
「そもそも、なんで傭兵やってんだ、その年で」二人に向けてリーンが問いを発するが、
「それ、お互いさまー」カイルはあはは、と笑い声を上げる。「うん、でもおれも興味あるな、君たちがなんで傭兵やってるのかって話、聞きたいなあ」
 三人の中で最も傭兵という言葉が似合わないくせに、とリーンは呆れた目を向けた。
 そんなわけで、朝食前に彼らは話すことにする。
 十四の、まだちっぽけな子供が、なぜ家族のもとを離れて世界をさまよっているのかを。


 リーンの家は、町の小さな料理屋だった。
 父がいて母がいて、ルードという名の、八つ年上の従姉の姉さんがいた。彼女は、母の兄の娘で、両親を亡くして引き取られたのだと聞いた。なんとなく、詳しい事情は訊くに訊けなかったので、リーンはよくは知らない。
 そんな中、リーンは家族になんとなく居心地の悪さを感じていた。それはここ数年で、無視できないほどに脹らんでしまった。
「居心地が悪いっていうのは違うかもしれない。お父さんもお母さんもすっごく優しくてさ、おれ、怒られたような記憶がないよ。だから……これはもしかしたら反抗期なのかもしれないな」
 両親共に、幼いリーンの目から見てもあまりにいい人だったので、彼は正面切って反抗することができなかった。反抗しなければいけないような事柄があったとも思えないが、たとえばちょっとした、手違いとかすれ違いとか思い違いとか、ほんの小さな引っ掛かり。そんなことがあったとき、リーンは「しょうがないな」と呑み込んで来はしなかっただろうか。ほんの小さな子供の我侭でぐずってみたくても、この両親を困らせるのは忍びない、とどこかで我慢しては来なかっただろうか。
「もしかしてそうかな、って思うとさ、この違和感はやっぱり反抗期なんだろうなって」
 だから、家を離れてみることにした。少し距離を置いて、自分と家族のことを見直せたら、この違和感もきっと消える。そう思って家族に切り出すと、やはり両親は反対した。彼らはリーンのことを手放したくはなかったのだ。リーンが家を出たい理由を言わなかった所為もあったろう。そのことはやはり、言えなかった。なんの落ち度もない両親を、悲しませたくはなかった。
 でも、リーンには一人だけ味方がいたのだ。それが従姉のルードだった。
「理由も訊かずに、行って来い、って言ってくれたよ。どこから用意したのか、旅費まで持たせてくれてさ、お父さんとお母さんのことは自分が説得するから行って来い、世界を見て来い、って。そう言ってルードは、まだ寒い日の早朝にさ、霧も出てて全然旅日和じゃなかったけど、玄関先でずっと見送ってくれたよ」
 しみじみとリーンは言った。手を振ったルードの姿が、霧で隠れてだんだん見えなくなっていくことだけが切なかった。その朝を、リーンは良く覚えている。
「……そうなんだー。よかったね、ルードさんがいて」
「うん」
 リーンの話を聞いて、ほう、とカイルは息を吐き、次いで「そっちは?」とキルに水を向ける。
「……え、ああ、おれは――
 リーンの話を聞きつつ、過去に意識を飛ばしていたらしい。少しぼんやりしていたキルは、声をかけられて我に返った。
「内乱で家族が離れ離れになって、とりあえず妹を探しているところ、だな」
 キルは簡素に答える。
「探すったって、当てはあるのか?」
「ないな。自分に出来る範囲で探してみたが見つからなかった。だから傭兵になった」
「へ」
 リーンは呑み込みの悪い反応を返す。カイルは思い至って、ぽんと手を打った。
「そっか、実績が欲しいって言ってたことだ。名を上げて、向こうから見つけてもらうんだ。有名になれば、なんらかの噂が届くもんね」
「まあ、そういうことだ」
 キルは軽く頷いた。
「さーて、次はカイルの番だ。話してもらうぜ」リーンが促したが、
「うん。でもその前にご飯食べようよー。おれおなかすいたー」
 カイルの腹の虫の前に、話の腰を折られた。


 窓の外は明るくなっている。
 厨房の方から朝ごはんの匂いが漂っており、カイルはスキップしそうな勢いで、階段を駆け下りていく。
「おい、カイル、転ぶなよ」
 リーンが声をかけると、カイルは「大丈夫ー」と答えながら、あろうことか最後の半分は階段の手摺りにまたがって滑り降りていってしまった。
「宿の人に迷惑かけちゃだめだぞ……」
 説教する相手が行ってしまったため、リーンの忠告は独り言となって宙に浮いた。隣のキルは無言のままである。
「おはようございます」
 下りる段も尽きようかというころ、リーンとキルは後ろから声をかけられた。振り向いてみればファキとアーサーで、リーンたちも同様に挨拶を返す。彼らもこれから、朝食を摂りに食堂へと赴くらしい。
「せっかくだから、ご一緒していい?」ファキの提案に、
「全然構わないよ! なあキル」即刻請け負って、リーンはキルに視線をやった。
「ああ、構わない」
 一歩先に階段を下りていたキルは、振り向いて返事を寄こし、前へと視線を戻した。その先を見やれば、カイルが既に大テーブルの席を確保しており、早く早くと急かしている。
 積極的にカイルが配膳を手伝い、ほどなくして五人分の朝食の準備が整う。豆入りのスープに焼きたてのパン。サラダにチーズ、玉子付き。シンプルで素朴な味わいだが、朝の胃にもたれることもなく、美味しくて食べやすかった。
「ああそうだ、カイル、おまえの話」
 リーンが話を促すと、ちぎったパンをスープに浸しつつ口に放り込んでいたカイルが顔を上げた。
「ああ、そう、その話ね」口に入ったものをこっくんと飲み下して、カイルはにこっと笑う。「おれが傭兵になった理由ね。至極シンプルだよ。魔術師に会ってみたかったの」
「あら、カイルも魔術師なのに?」
 ファキの指摘に、うん、とカイルは頷いてみせる。
「だって、ひとりの魔術師が使える魔法って、一種類だけでしょ。おれが風、キルが炎、ファキは光だね。ファキのは補助魔法だから、ちょっと特殊かな。うん、だから、自分以外の人がどんな魔法使ってるかって、気にならない?」
「そうね、言われてみれば、自分以外の魔術師のことはよく知らないな」
「そうだな、おれも癒しの魔法があることは知らなかった。魔法といえば攻撃魔法だと思っていたからな」
 呪いを解くというのも、なんらかの破壊的な魔法の一種だと思っていた、とキルは言う。彼らの会話を聞いて、リーンは、へえ、と声を上げた。
「そうか、魔術師だからって、魔法のことなんでも知ってるわけでもないんだ。考えてみれば、魔術師なんてめったにいないもんな。一般的に知られるほど、世界にサンプルがいないわけか」
「そうですね、周りに比較できる対照がありませんから、自分の力が強いのか弱いのか、特殊なのかそうでないのか、知る術はほとんどないと言っていいでしょう。魔術師の血族であろうと、全ての血縁が魔術師になるほどの魔力を持っているわけではありませんし、同じ血筋であれば、同じ傾向の魔法を使うことが多いですから、やはり知識の枠は広がりませんね」
 スープを啜る手を止めて、アーサーが補足する。ファキやキルは、ふむふむと頷きながら聞いていた。
「そう、だから傭兵になったんだ。魔術師は王族と兼ねてることが多いから、たとえ会えても魔術師ってことは秘されてると思うんだよね。でも先に、おれが魔法を使うってことがわかってれば、情報を開示しやすくなるでしょ。攻撃魔法使う機会って、やっぱり傭兵が一番多いしねー」
 そこまで話し終えて、カイルは空になった皿を手に席を立ち、おかわり! と叫んで厨房へ駆け込んでいった。


 朝食を終え、アーサー以外は町並みへと繰り出した。
 居残りのアーサーは薬を調合する用事があるとのことだった。旅の準備のため、主に、解熱剤や鎮痛剤などの内服薬である。ファキの魔法では怪我は治せても病には効かないのだ。
「それに、魔法って精神力もだけど、体力も使うのよね。寝不足だと集中できないこともあるし、調子の悪いときなら一日二回が限度かな。意外と役に立たないわ」
 ファキのあっさりした物言いに、ふへえ、とリーンは息を吐く。キルに、魔法は軽々しく使える力じゃない、と怒られたことを思い出した。
「そんなのでよく、いままで旅してきたよな……アーサーも、剣がすごく得意ってほどでもないんだろ」
 リーンのような一般民ならともかく、ファキは歴とした王宮の人間である。そこそこ使えるとはいえ、物騒な二人旅には心もとない腕前と、一日の回数に限定が付いている頼みの回復魔法。なかなか危うい状態ではある。
「いかにも護衛です、って感じの人が付いていると、逆に人目を引いちゃうのよ。アーサーなら若いし、兄妹の二人旅に見えなくもないでしょ。それに今後はリーンたちがいるから安心ね」
 何かあったときのための身の証にと、持っていた王家の指輪を盗まれ、さすがにファキも自らの危機管理意識の欠如に気づいた。指輪の行方を追いつつ、アーサーと護衛を雇うかどうかの相談をしていた矢先、今度は魔物の襲撃に遭ったのだ。
 不運が重なっただけではあるが、この際、護衛として雇いたいと朝食の際に打診され、リーンたちは承諾したところだった。旅は道連れである。
 リーンとファキ、カイルとキルの二組で並んで歩いていると、傍を幼い姉弟が横切った。年長の方でも十ばかりの幼い子供たちである。少年の手に風船が握られているのを見て、リーンはそれを微笑ましく見守った。
「あっ」
 同じくその姉弟に目をやったカイルが、小さく声を上げた。少年が舗道の敷石のわずかな段差につまづいて転んだのだ。少年は上体を起こしかけたが、腹ばいになったまま、うわあんと泣き声を上げた。
「馬鹿!」
 振り向いた少女が駆けて来て、少年を助け起こす。少女はハンカチを取り出して少年の膝に付いた泥を払ってやるがその間も悪態は尽きない。「なに馬鹿やってんのよ、ちゃんと足元見なさい」
 少年は痛みを堪えて泣き止もうとするが、そのとき、はっと気づいて自らの手に目をやった。
 風船がなくなっている。
「お姉ちゃん、風船……」と呟くと、少年は再び目に涙を浮かべた。
 少女がきょろきょろと辺りを見回す。上空に目をやり、はっとした表情になった。思わず固唾を飲んで見守っていたリーンたちも、つられて少女の見る方向に視線をやる。
 風船は、近くの街路樹に引っかかっていた。ずいぶんと上の方にある。地面からは、少女の身長の、四倍ばかりの距離であろうか。
「もう! だから、しっかり握ってなさいって言ったでしょ」
 少女は腰に手を当ててお説教モードだ。その雰囲気から、早く行くよと手を引かれて少年は風船を諦めるのだと、リーンは思った。
 しかし、少女は景気づけのように手をパンパンと打つと、枝に手を掛け、その木に登り始めたのだ。
「ち、ちょっと待った!」
 慌てて割り込んだのはリーンだった。


「ありがとうございました。ほら、あんたもちゃんとお礼言いなさい」
 少女に促され、少年もぺこりと頭を下げた。
 さすがに少女に木に登らせるのは危ないと考え、リーンが風船の救出役を買って出たのだった。リーンにとっては、あの程度の高さなど、さほどのものではない。
 今度は手放さないように、少年の掌に二、三回風船の紐を巻きつけさせ、少女は弟と連れ立って去っていった。
「あー、いいなあ、兄弟って」リーンは彼らを見送って、ほうと息を吐く。「兄弟の上って、みんなあんな感じなのかな。パワフルで、横暴で自分勝手で、それでいて、絶対的な味方だ」
「それは、性別や年齢、当人の性格にもよるだろう。……おれのところは、妹の方がおせっかいで面倒見が良かった」
 リーンの問い掛けにキルが応える。
「ふーん、想像付かないな。キルの妹って、おまえに似てる? 可愛い?」
 途端に調子付いたリーンを、キルは「うるさい」と一蹴した。
「私も兄弟っていないから、羨ましいな」ふふ、とファキが笑って場の空気が和やかになった。
 姉ちゃんかあ、とリーンはもういちど息を吐く。
「ルードのこと、思い出した。ルードってすげえしつけ厳しくて、よく殴られた。親には怒られた覚えがないけど、ルードにはすげえ怒られたんだよな。ルードの方が親みたいだった。おれさ、小さい頃はすっごい悔しくて憎らしくて、何かひとつルードに勝てるものが欲しくて、それで剣を習い始めたんだよな……」
 リーンはしみじみと呟いた。もう、何ヶ月もルードに会っていない。
 いま思えば、ルードはリーンの教育役を引き受けることで、家族の中に自分の居場所を作ろうとしていたのかもしれない。たとえそうであっても、純粋にリーンのためだけでなかったとしても、それでもよかった。
 家を離れて初めて、ルードのことをそんな風に感じた。
 カイルたちの旅が一段落付いたら、家に帰ろうか。
 そう思いつつ、リーンは一足先に歩き出したカイルたちの背中を追いかけた。


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2009 05 14