そっとしといてやりたい。
「すみませーん、ちょっと寝かせてください」
そう声がして、保健室のドアが開かれた。
振り向くと、三濱が神代を支えるようにして連れていた。またかと息を吐き、柿崎は手前のベッドを手で示す。
神代は保健室の常連で、いつも彼女の友人の三濱が連れてくる。ベッドのわきで少し話して、三濱は教室へと帰る。神代はだいたいいつも、一時間ぐらい眠っている。大抵は、微熱か気分が悪いかのどちらかだ。柿崎の仕事は、ベッドを提供することだけだった。
奥のベッドはいつも使わせなかった。奥には白いカーテンを掛け、常に使用中のように見せている。
ここは、特別席だからだ。
――ある生徒だけの、指定席だ。
「……失礼します」
五時間目の終わりごろ、一人の女子生徒がふらりと保健室を訪れた。
三年生の美波だ。
人形のように白い頬が、青白くなっている。見るからに病弱な娘だ。背は低くない分、細い手足がひょろひょろと伸びている。長い黒髪を背に流し、不健康そうながらも美波は深窓のご令嬢のように見えた。
「――奥が空いている」
柿崎が一言告げると、美波は黙ったまま頷いてそれに従った。ベッドに潜り込む布ずれの音がして、あとから、深い寝息がそこに漂った。
美波は今年十九歳だ。病気で一年遅れている。ひどく疲れやすい体質で、体育の授業は免除されているが、それでも午後には疲れが溜まって保健室に来ることが多い。
柿崎は寡黙なたちで美波も口数が多い方ではないが、美波が睡眠をとったあとにぽつりぽつりと話すことが多くなっていた。
どうも、妙なトラブルに行き合ったり、他人から必要以上に構われたりすることが、疲れの原因の一つとなっているらしい。
柿崎はもう気付いていた。
――これは『ゲーム』だ。
美波はゲームの『主人公』であり、柿崎はどうやらアドバイザーの立場らしい。
彼女が「困ったことがある」と言うときは大抵男子生徒絡みで、相手の行為をどう解釈すればいいのかわからない、どう振る舞ったらいいかわからないという内容だった。これ以上構われないようにするにはどうしたらいいのかと言うときもある。
柿崎にはわかっていた。
誰が美波と恋仲になり得る男子生徒で、誰が一番美波と新密度が高いのか。美波にアドバイスをすればその通りに進むことも、柿崎が恣意的に恋愛相手を誘導できることも。
だからいつも、美波にはできるだけ誰とも進展しないようなアドバイスをしている。
自分の身体のことで精一杯なのに、妙なことに巻き込まれている美波が気の毒だった。
別にいいじゃないか、と思う。誰とも恋仲にならなくたって。
――だから柿崎は、美波の卒業までいまのスタンスを続けようと思っている。
2013 03 09