孤高の恋愛アドバイザー

 生まれて十六年目に気付いたこと。
 どうやら私は、恋愛ゲームの中の登場人物だったらしい。


「やったあ、れっちゃん、同じクラスだよ!」
「だね、若ちゃん、また一年よろしく」
 新しい教室に入ると、友人の神代こうじろ若葉わかばが飛びついて来た。若ちゃんは昨年度のクラスメイトで、今年もまた同じクラスになったのだ。
「よう、三濱みはまも一緒になったのか」
 続いて、机の上に行儀悪く腰かけている男子生徒に声を掛けられた。
「あ、小折こおりくん」
 彼は若ちゃんの幼なじみで、ちょっと爽やかスポーツマンタイプの男子だ。毎朝一緒に登校しているらしい。
 よろしく、と返そうとして、私は思わず動きを止めてしまった。小折くんの隣に変なものが見えたのだ。
 虫かな、と一度視線を外し、もう一度見るとさっき視界をよぎった程度だったそれは、はっきりとそこに浮かんでいた。
 小折くんの右上に、ハートマークが五つ並んで浮かんでいた。左端の一つだけ、ピンク色で塗りつぶされている。
「……ねえ若ちゃん、あれ見える?」
 私は若ちゃんの袖を引っ張って、こっそりと耳打ちする。
 若ちゃんもわきまえて、声を潜めて返してくれた。
「なあに? 虫でもいた?」
「……いや、私の目が変だったみたい」
 ――目じゃなくて、おかしいのは頭だったのかも知れないが。
 これ『好感度』だろうな、となんとなく当たりをつけて、私はそれを受け入れてしまった。おそらくこれは恋愛ゲームで、小折くんは『攻略キャラ』で、浮かんでるのは『恋愛ゲージ』。
 そうか、私はゲームキャラだったのか。うっかり納得した。
 そんな発想になること自体がおかしいし、疑いもしないのはもっとおかしい。そう理屈ではわかっていても、受け入れることすら『システム』に組み込まれているんだろう、そんなふうに感じただけだった。
 こんなにすんなり受け入れられるようなことなら、なんでいままで気付かなかったんだろう。
 そう思ったがすぐに、そのわけに気が付いた。
 ――そりゃ、攻略キャラが出揃うのが高校二年の春だからだよ。


「あれ、若ちゃん、具合悪い?」
「大丈夫だよ、ちょっとだるいだけ」
 若ちゃんの頬が赤くなっている。熱があるのかもしれない。
 若ちゃんは少し身体が弱い。持病があるわけではないが、風邪をひきやすくよく熱を出す。活動不能なほどの熱はときどきしか出さないが、微熱程度ならしょっちゅうあるのだ。
 どうしようかな、と思ったとき、赤十字のようなマークが若ちゃんの上にピコンと光った。
 ――来た、と思った。
 ときどきあるこれはどうやら、「若ちゃんを保健室に連れて行け」マークらしいのだ。
 昼休みに入ったところでまだ昼食を食べていなかったが、とりあえず若ちゃんを保健室に連れていくことにした。
「すみませーん、ちょっと寝かせてください」
 保健室に入ると、またかといったような顔で校医の柿崎かきざき先生が対応した。まだ二十代の若い先生で、実際はもう一人の校医の補助的立場の先生だ。少し長い黒髪を一つにまとめ、一重の細い目に眼鏡を掛けた白衣姿は、保健室の先生というよりは化学の先生みたいな雰囲気だった。
 どうやら若ちゃんのこれは、柿崎先生に会いに来るためのファクターとなっているらしい。……なぜってそれは、柿崎先生の上にもハートマークが五つ並んでいるのが見えるからです。
 しかもこの先生、何度も保健室に来ているというのに好感度が一つも上昇しないという攻略難易度の高さだ。
 どうやらこのゲーム、日常的な好感度の上下はあまりなく、特定のイベントが発生したときに大きく上がったり下がったりするらしい。ということは、柿崎先生とはことごとくフラグをはずしているということなのかもしれない。


 その日、私は若ちゃんと一緒に移動先の教室に向かっていた。
 踊り場を曲がったとき、若ちゃんがペンケースを落とした。彼女はそれを拾おうと手を伸ばし、足がもつれてうっかり転んでしまったのだった。
 転んでしまった、と簡単に言うが、つまりは階段の下に向かって転げ落ちたのだ。
「若ちゃん!」
 慌てた私は大声を上げることしかできなかったが、そんなピンチを救ってくれた人がいた。
 ちょうど、階段を半ばまで上がってきていた上級生がいたのだ。彼はさっと駆け寄るようにして、上から落ちてきた若ちゃんを受けとめた。さすがに衝撃はあったみたいで、開いた手で咄嗟につかんだ手摺のそばに、彼はぶつかるようにして座り込んだ。
「わ、若ちゃん、大丈夫!?」
佐々川ささがわ!」
 駆け降りる私とは反対に、駆け上がってくる男子生徒がいた。彼は、名前を呼んだ相手に駆け寄って無事を確認した。
「大丈夫だった?」
 佐々川先輩は涼しげにそう言って、若ちゃんをゆっくり立ち上がらせた。散らばった教科書やノートは、さっき駆け寄ってきた先輩が拾ってくれて、私が受け取った。
「は、はい……ありがとうございます」
 若ちゃんは恥かしそうに上目づかいをして、佐々川先輩の顔を見つめた。若ちゃんの頬が、ぽっとピンクに染まる。
 ――人が恋に落ちる瞬間を目撃してしまった。と私は思った。
 そのとき、ピロンと電子音がして、佐々川先輩の隣にハートマークが出現した。――言い忘れていた気がするが、このゲームの『主人公』は若ちゃんである。
「……ねえ、れっちゃん、あの先輩のこと知ってる?」
 礼を言って先輩方を見送ったあと、若ちゃんが呆けたようにそう言って私の制服の裾を引っ張った。もちろん、若ちゃんが言っているのは自分を助けてくれた方の先輩である。
「うん、三年A組の佐々川ささがわ篠芽しのめ先輩だよ、女子に人気あるからよく話題になってる。もう一人は同じクラスで佐々川先輩の親友の、長谷部はせべ蔵人くらと先輩」
 他人にあまり興味がないくせに、対人関係のデータや噂を把握していないと気が済まない私のこの変な性格は、『主人公』にアドバイスできる『親友キャラ』になるための布石だったんだなあ――と私は妙に感心したのだった。


 今日、若ちゃんは佐々川先輩と一緒にお弁当を食べる約束をしたそうなので、私は一人で食堂だ。
 なんというか、展開が早い。あれから若ちゃんは、廊下やら図書室やらで偶然先輩と会うことが何度かあったらしい。もちろん、ゲーム内で発生する『イベント』である。それで私にアドバイスを求めつつなんやかやで――佐々川先輩と仲良くなったらしい。善きことかな。個人的な感想としては、ハートマーク三つ目まで溜まってた小折くんがすごく不憫。
 そんなわけで私は、日替わり定食のトレイを席に置いて、一人で黙々と昼食を食べていた。
 そのとき、向こう側に見知った顔があった。
 佐々川先輩の親友の、長谷部先輩だ。大抵佐々川先輩と一緒なので顔はよく見かけるが、一対一で話す機会はなかった。こちらは大概若ちゃんと一緒なので二対二という感じだし、それどころか、一対一におまけが二人くっ付いているぐらいの感じである。私だって、挨拶と会釈以外に口を開くことはほとんどない。
 佐々川先輩の親友というポジションであれば、攻略キャラの一人でもおかしくないのだが、長谷部先輩の頭の上には何も情報がなかった。隠しキャラだったり、まだ相手を認識していない状態であればないこともあるが、先輩と若ちゃんは既に知りあっている。言葉も交わしている。それなのに情報が入ってこないということは、攻略キャラではないらしい。
 そうと気付いたとき、私は意外に思った。
 それはストーリー上出番が多いキャラは攻略キャラだ、という思い込みもあったのだが、長谷部先輩の方が佐々川先輩よりも顔が良かったからだ。しかも社交的。友達もいっぱいいる。
 それなのに女の子はみんな、彼を素通りして佐々川先輩に群がっていく。確かに成績は良い。スポーツも出来るらしい。でも、そこまで良い男か? と私なんかは首をひねってしまうのだが、若ちゃんも佐々川先輩に好意を持ってるみたいだし……まあ、私の審美眼が悪いのかもしれない。
 それにしても不憫なのは長谷部先輩である。もしかして女取られてんじゃないか? と思ってしまうのはうがちすぎだろうか。
 じろじろ見ていたのが悪かったのか、トレイを持って席を探していた長谷部先輩とばっちり目が合ってしまった。
 先輩は、片手を上げながらこちらに来て、承諾も取らずに向かいの席に腰かける。
「よう、今日は一人? えっと……」
三濱みはまれんです。先輩こそお一人で?」
「あ、そう、三濱さんだ。今日は篠芽しのめがいなくて」
 私は、先輩が割り箸をパキリと割るのを見ていた。
「あ、ごめんなさい、佐々川先輩は若ちゃんとお弁当食べてます。他の人と一緒じゃないんですか、って意味だったんですけど」
――あ、そうなのか、知らなかった……」
 先輩はラーメンの汁を飛ばさないよう器用につるつると麺を啜って、咀嚼する。スープを蓮華で流し込んで飲み込むまでの間、しばらく沈黙が続いた。長谷部先輩は、遅ればせながら事態を把握したらしい。
「あの二人、うまくいくんですかね」
 私は定食の焼き魚を口に運びながら、そう話題を振ってみる。
「うまくいってくれないと、困るんだけど。そうじゃないと、いつまで経っても俺の番にならないし」
「長谷部先輩が恋愛できないってことですか? そりゃまた、どうして。頼られてる……にしても、そんなにベッタリには見えなかったけど」
「なんでも何も、そういうシステムになってるから」
 投げやりなふうにそう言って、先輩はラーメンを啜った。
 意味がわからん、と口に入れたご飯を咀嚼するために黙って、私は考えた。ごくん、と飲み込んで、そのとき唐突に気付いた。
――あ」
 なに、と言うように先輩の視線が向けられる。
「もしかして、あれですか、攻略キャラの情報を教えてくれる親友ポジション」
「なに、そういう三濱さんも、もしかしてお仲間」
 はは、と互いに苦笑いになった。
 なるほど、つまりは佐々川先輩も『主人公』だったわけだ。
「あー、それでひとつ納得しました。若ちゃんのためだけに創られた世界なのかよって思ってたんですよね」
 若ちゃんと攻略キャラたちだけの世界。それ以外はすべて脇役でオマケなんだとしたらやってられない。いくら友人でも、ひがみたくもなろうというもんだ。でもそうじゃなくて、誰でも『主人公』や『攻略キャラ』になる可能性があるとしたら、たとえ選ばれないにしてももう少し気が楽だと思う。
 この世界は、恋愛ゲームのシステムが組み込まれた世界であり、あっちこっちに『主人公』がいるのだ。そしてきっと彼らは、過去にも存在し、未来にも存在する。自分の両親が『主人公』だったという可能性もあるかもしれない。
「そういえば、佐々川先輩ってスタートが二年生の春じゃないんですか? 若ちゃんは、春から一年間ってことみたいなんですけど」
「マジで? 羨ましい、こっちは入学式から卒業式までだぞ。三年間、俺に彼女つくんなってことだよ、ふざけんな」
 憤るように言って、先輩はずるずると麺を啜った。どうやら若ちゃんは一年のときからすでに、『攻略キャラ』だったということになるみたい。
「好感度ゲージが見えたりするのって、私たちだけなんですかね。誰にも言えなくて、そういう話したことないんですけど」
「そうかもなあ、俺も周りでそんな話聞いたことないし。俺たちみたいに、『親友キャラ』同士が情報交換してるってことはあるかもしれない」
「こっそりメルマガとか同盟とか存在してたりして」
 お互いに、これ関係の話が出来る相手がいなかったので、二人ともテンションが上がってきてしまった。
「同盟って、例えば?」
「親友同盟……だといまいちですね」
「脇役同盟……だと意味が変わってくるしな」
「……ビンボーくじ同盟ってどうっすか!」
「あー……貧乏くじね、ある、それはあるわー。いっそ開き直って、選ばれし者同盟とか言いたい」
 どちらからともなく、ハハハと乾いた笑いが出る。
「……にしても、そういう世界なんですね。面白いっちゃあ、面白いなあ。あの人、顔も頭も家柄も完璧な超王子様なのに、なんで彼女いないの? ってときは『攻略キャラ』なんじゃないの、って疑えばいいんですね」
「あー、そっか、そういう疑いかけるのアリなんだな、攻略される側も『主人公』がクリアするまで拘束されてんのと一緒なんだよなー」
「不憫っすね……」
「不憫だな……」
 なにしろ攻略キャラは自分がそういうシステムに組み込まれていることを知らない。知らない方が幸せなのかもしれないが。
「とりあえず、私たちの平和のためには若ちゃんたちがさっさとくっつけばいいわけですね」
「そうだな、続編とかファンディスク的なものに突入しなければだけど」
「嫌なこと言わないでくださいよ」
 そんなわけで、私たちの目下の目標がはっきりした。
 とにかく、若ちゃんたちの恋を応援して、さっさとエンディングに持ち込めばいいわけだ。
「なんか、これってむしろ『親友キャラ』っていうより……」
「『プレイヤー』ですよね、私たち」
 これがゲームだと気付いているのが『親友キャラ』だけなのだとしたら、まさにそういうことになってしまう。情報を握っていて、コントロールできるのは私たちだけなのかもしれない。
「なんていうか、プレイヤー待遇のくせに旨味ゼロすぎる……」
「そっすね……」
 まあ、天災にでもぶち当たったと思って我慢するしかないのだろう。
 ――とりあえずは、ここに同士がいて良かった。と、塩焼きさばを食べながら私は思ったのだった。

<了>


novel

2013 03 05