秘密の故意

「邪魔するよ」
 ドアをくぐってリールが店内に入ると、ウエイトレスたちから黄色い声が上がった。
「いらっしゃい、リール!」
「サービスするからゆっくりしていって」
 一拍遅れて店内に入ったジグは完全に無視を決め込まれ、仕方なくリールの後をしずしずと従者のように付いていった。こんなことでいちいち腹を立てていては、リールの相棒などとても務まらない。とはいえ、席にどっかと腰かけた際につい声が苦くなるのを止めることはできなかった。
「へえへえ、昼日中からお盛んなこって」
「安心していいぞジグ、たとえ私がいなくても、お嬢さん方がお前の食事を邪魔することはないだろう」
「嫌味かよ!」
 軽い気持ちでリールに噛みつくものではない。そんな普段の教訓を、改めてジグは心に刻みつけた。


 ジグとリールは冒険者だ。
 基本的に冒険者はギルドに属している。ギルド員でなければ冒険者と名乗れないわけではないが、仕事の斡旋をしてもらえるのでなにかと都合がいい。
 仕事のほとんどは、護衛か魔物狩りだ。町や村の集落には結界が張ってあるから問題ないが、森や街道には当然魔物が出る。
 そのため、移動する人間の護衛や、狩りに行けるように村周辺の魔物を一掃してくれ、などという依頼が舞い込むことになる。貴族や名のある商人なんかは専属の護衛団を持っていたりするので、ギルドに来るのは基本的に小規模な依頼だ。とはいえ、冒険者も二、三人の組で動くことが多いため、こちらにとっても都合が良かったりする。
 斡旋といっても、ランダムに仕事が割り振られるわけではない。冒険者にはランクがあり、依頼者の希望に応じて受付が調整するのだ。このランクとはつまり、信用度である。顧客の満足度に対してポイントが加算され、ランクが決められる。ランクは、金星きんぼし銀星ぎんぼし錫星すずぼし鉛星なまりぼし、星無し、の五段階。もちろん実力が高ければその分加算もされるが、客商売だけあって顧客の評価による加算ポイントが大きい。当然、ランクが高ければその分報酬も多くなる。
 リールはこの、金星にあたる。一緒に組めば報酬も期待できるとあって仲間になりたがる者も多いが、リールが選んだのは何故か、ジグだった。ジグのランクは錫星、平凡の極みである。
 リールは金星だというだけではなく、指名客が出るほどの売れっ子だった。対応が丁寧だと、とにかく顧客からの評判が良いのだ。護衛や魔物狩りに丁寧さが必要あるのかと疑問に思われるが、小さなことが結構大事なことだったりする。例えば、魔物狩りでも加工品を作るために角や皮などの部位を要求されることがあるが、リールは血を洗い落した上に適当な個数ごとに紐で括って纏めている。皮も、なめすまではしなくとも余分な脂等を削って洗うところまでが作業に入っている。護衛に関しても顧客、特に女性に対する礼儀は忘れない。こういう心遣いがリールの株を上げているのだが、女性の場合は別の客を紹介してくれることも多いため、更に良い仕事が舞い込むことになる。
 そんなリールが何故、ジグを選んだのか。ジグは再度、自問する。だが結局すぐに、リールに尋ねた。
「……なあ、どうして俺だったんだ? お前ならもっと、いい相棒が探せただろう。お前がギルドに相談した条件は、体が大きくて、錫星以上の男だって聞いたぞ」
 活動する組を作る際、ギルドに相談すれば希望に合致する者が在籍しているかどうか教えてもらえる。リールは細身で背も高くはない。体が大きい男を探していたのは、依頼の達成に対して顧客に不安を与えないため、また同業者に舐められて変なちょっかいをかけられないためだと思われた。
 それは理解できる。だが、それだけならば該当者はジグ以外にも掃いて捨てるほど居るのだ。
 そうジグが問うとリールは、ははと爽やかな笑みを見せた。
「厳密にはな、条件はもう少し細かいんだ。女に縁のない、お人好しの朴念仁がいたら教えてくれと言ったのさ」
「おま――お前な」
 声を詰まらせてジグは言った。それはひどい。もっと言えば、自分の性質をそうとギルドに把握されている現状がひどい。
「女関係のトラブルはこりごりだったしな。それに、お前のその、牛の様な鈍重さが私の眼鏡に適ったんだ、喜べよ」
――褒められてる気がしねえよ!」
 リールが組む相手はなにも、ジグが初めてというわけではない。実際、ギルド内でも組む相手をよく替える者はいる。何度か替えたのちに相性が良い相手を見つけて安定したり、受ける仕事に合わせて替えている者、特定の組を作らず即席で組む者、いろいろだ。
 リールは選べる立場にあったため、いままではそれなりにランクの高い者と組んできた。その際、どうにも女性絡みのトラブルが多かったらしい。リールはもてる割には手当たり次第に“食う”タイプではなかったため、そのおこぼれに与ろうという、目的を履き違えた奴が相棒だった時期もあったのだ。
「おかげで、人と組むというのはどういうことか、というのがわかったがな。高い勉強料だったとでも思っておくさ」とリールは言う。
 リールと相棒を解消すると町娘たちからしばらく冷たい目で見られることになるため、相手にも相応の痛手というのはあった。
「しかしそれで、自分だけは大丈夫だと思える性根がすげえよな」
 それでもリールの相棒に名乗りを上げる奴らを評して、ジグはそう言った。
「まあな、お前にはそういう驕った部分がないから、正直助かるよ」
「ふん、人を見る目のないお前に言われてもいまいち手放しで喜べねえよ」
 照れ隠しにジグが素っ気なく言うと、「違いない」とリールは笑いを含ませた。
「これからもでしゃばらず、良い忠犬でいてくれると重畳だよ、ジグ」
――だから、褒めてねえだろそれ!」


 ジグは、忠犬だと揶揄されるほどリールに忠実なわけではない。ただ、何かを言いつけられても結局は断り切れずに従ってしまうところがやっぱり犬なのかも、と思って少し落ち込んだ。
 自分の方が年上のはずなのに、なぜこうも力関係が偏っているんだろう、とジグは思う。リール本人に尋ねたことはないが、見たところ二十二、三、対してジグは二十六である。そのわりにどうにも分が悪い。
 悲観的な思考を追いやって、ジグは鹿をよいしょと抱えてリールのもとへと戻った。森で仕留めたこの鹿は、今夜の夕食になる。
 ジグが近づくと、火の番をしていたリールがそれと認めて立ち上がった。火の灯りがあっても、どことなく黒い人影が立っているように見える。黒髪に加え、リールは全体的に黒っぽい服装を好む。瞳の色は灰色がかった緑だ。対してジグは、短く刈った麦色の髪に、薄茶色の瞳。リールから見れば、自分でも少しは明るい色に見えるのだろうか、と取り留めもなくジグは思う。
「ご苦労だったな、ジグ」
「おう」
「お前が狩りに行っている間、樵が使う小屋を見つけておいた。今夜はそこで休息がとれる。荷物になる物は先に運んでおいた」
「わかった、飯を食ったら移動するか」
 ジグを顎で使うからといって、リールは何でも仕事を押し付けてくるわけではない。自分の役割だと思った仕事はきちんとこなしていた。ただ――そう、ただ口が悪いだけだ。
 今日は、少し離れた町への護衛の帰りだった。仲介屋で魔物の部位が売れるため、少し狩っていこうかと寄り道をしたのだ。気付けば日が暮れてしまったので、今日は町まで戻ることを諦めた。
 二人は小屋へと移動した。燃料が勿体ない――というより薪を勝手に使うのが躊躇われた――ので、暖炉は使わず、灯りはランプをともすだけにする。
 月は中空に光っていたが雲が多い。俄かに、雨が降り出した。降られる前に屋根のあるところに入れて良かった、とジグはほっとする。
「おい、こっちの部屋もらうぞ」
 ジグはリールに声を掛ける。寝室は二つあったので手前の部屋を選び、ジグは早々に身を休めることにした。
「ああ。お休み、ジグ」
 リールと別れたあと、ジグはすぐに眠ってしまったらしい。目が覚めても外はまだ暗かった――というと語弊があるか。ジグは眩しくて目が覚めた。夜中も夜中だったが、ひっきりなしの稲光が、目を閉じていても瞼を射抜いてジグの眼を刺したのだ。
 次の雷が光った瞬間、ジグはベッドの脇にうずくまる黒い人影を見て、「どわっ」と声を上げた。
「お、おまっ、何やってんだ」
 リールだということはすぐにわかったが、息が止まるほど驚いたため、ジグの心臓はまだ早鐘を打っていた。胸に手を当てて、どっどっど、という鼓動が治まるのを待つ。
「どうにも寝付けなくて、退屈だから来ただけだよ。気にするな」
「気にするなっつっても……」
 そこに居座られると眠れないんだが。という言葉をジグは呑み込んだ。リールが手を伸ばして、ジグの腕をつかんだからだ。
 バケツをぶちまけたような雨が、ばしゃばしゃと窓の外側を叩いていた。そこにまたひとつ閃光が落ちる。数拍遅れてやってきた轟きは、腹を揺さぶるような音だった。
 そのときジグの腕は、爪痕が付くほどに強くつかまれていた。――ひょっとして、とそこでようやっとジグは思い当たる。
 ――怖いのか、雷。
 ジグの頭の中の一部は、初めてリールの弱みをつかんだぞとほくそ笑んでいる。が、別の一部はとりあえず寝たいと主張していた。少しだけ考えて、結局ジグは、
「……知らん。寝るぞ俺は」
 リールの手はそのままに夜具を被って寝てしまった。変になだめたりするのもなんだか嫌だったし、つまりは二人の関係のバランスを崩したくなかったのかもしれない。
 次にジグが目を覚ましたとき、雨はもう小降りになっていた。時刻はまだ夜明け前のようだ。
 ふと脇を見ると、リールが、座った姿勢のままベッドの縁にすがりつくようにして眠っていた。
「……部屋戻って寝ろよ」
 ジグはそう呟いたが、リールを起こすのも忍びなく、かと言って部屋に連れていってやるのも面倒臭い。それになにより、ものすごく眠かった。
 そうしてジグは、あまり深く考えずにリールをベッドに引きずり込んで、そのまま眠ってしまったのだった。


 朝ジグが目を覚ますと、リールは既にいなかった。身支度を整えて部屋を出ると、良い匂いがしている。見るとリールがスープを作っていた。さすがに薪は使うことにしたらしい。どの道森へ行ったところで、湿気た枝しか落ちてはいまい。
「ジグ……」
 リールがジグに気付いてこちらを睨んだ。ジグはその沈黙の意味が気になったが、さすがに訊くのは躊躇われた。結局リールは何もとがめないことに決めたらしい。
「朝食が出来てるぞ」
 器をこちらに寄越したので、ジグは大人しく受け取った。夕べの肉の残りが入っているようだ。
 リールはまだ、話題にするつもりはないのだろう。そうと知って、いつまで気付かないふりをしておけばいいのだろうか、とジグは思う。
 ――リールは女だ。
 男だという先入観にとらわれず、きちんと観察すればリールが女だということはほどなくしてわかった。ただ、リール自身が男装を貫いているし、男だと思われて訂正もしない。その方が都合が良いのだろうかと考えて、ジグは未だに己が知っているということを告げられずにいるのだ。
 もちろん、ジグの他にも気が付いている者はいる。それを思うとジグは、どんな扱いを受けようともリールの相棒を解消しようなどとは口に出せない。自分の後釜になる男が、紳士的だとは限らないからだ。
 ――ギルドへの要望に、女に甘い男、なんて項目も入っていたんじゃないだろうな。
 ジグは溜息を押し殺しながらスープを口に運んだ。
 どうせリールは、ジグのことを鈍くて間抜けな男だとしか思ってはいまい。
 ならば、それを信じさせておいてやるのが男というものではないだろうか。
 ――間抜け呼ばわりされ続ける日々に、終わりが来ることはあるまいが。

<了>


novel

2012 07 16