トール

「ヒマワリちゃん、これもお願いできる?」
 なぎさに頼まれ、日向ひなたは受け取った単行本を、手を伸ばして一番上の段に押し込んだ。彼女たちの腕には、『図書委員』の腕章がピンで止められている。
「ねえヒマワリちゃん、これってシリーズだから、下の段に移動した方がいいかなあ」借りる人多いでしょ? と渚に言われ、日向はそうだねと返事をした。
 ということは、日向の仕事になるのだ。渚では背が低くて梯子を移動させてこないと届かない。
 なんだか便利屋のようになっているが、実際は、日向が便利屋になることを回避した結果が図書委員だった。渚だって、言えば自分で作業を請け負ってくれるはずだ。それでも自分がやるつもりになってしまっているのは、日向の性分だった。
 日向は、女子の中では頭半分抜けて背が高い。一七〇あるのだ。図体のでかい自分の横で、コマネズミのように働いている女の子を無視することなどできず、誰であってもつい手を貸してしまう。重い荷物は持ってやり、目の前のドアは開けてやる。そのうちに慣れてしまい、ああ、この小さい子がやるより自分がやった方が楽だな、という思考に落ち着いてしまうのだ。もちろん、自分が当事者の場合は誰も手伝ってなどくれない。男子は言わずもがな、厳密に言えば女子の中には手伝ってあげると言ってくれる者もいるのだが、その小さい手を見ると日向の方が遠慮してしまう。
 そんなこんなのうちに、日向は女子の中で頼られる存在になってしまった。髪が短くてボーイッシュなのも好感を煽ったらしい。しかし日向は、誰かを補助することは苦にならないが、自分が前に立つことは好きではない。クラス委員長や実行委員など、なにやら面倒そうな役を押し付けられそうな気配を感じたので――さらに言えば、小さい女の子たちに束になって頼まれればそれを拒否できる自信がなかったので――先手を取って図書委員に逃げたのだ。
 その日は用事で渚が先に帰ったため、日向は一人残って図書室の戸締りをした。鍵を職員室へ返し、玄関ホールに出ると雨が降っていた。
「あーあ……」
 傘を持ってこなかったな、と思いながら日向はとりあえず靴を履きかえた。すのこを敷いた土間の部分には、既に灰色の染みが侵入している。
 ガラスのドアを抜け、庇の下から日向は雲を見上げた。雨は大降りではないが、パラパラ、と表現するよりはもう少し強い程度。学校から傘を借りることもできるだろうが、手続きが面倒だ。部活も終わって人もまばらな時間帯、そもそも事務員も帰ってしまっているだろう。
 どうせあとは帰るだけだ、割り切って足を踏み出そうとした日向に、後ろから声がかかった。
「よう、青井あおい
 振り向いてみればクラスメイトの椙森すぎもりという男子だった。面倒くさいな、と日向は気づかれない程度に唇を噛む。
「ああ……椙森くん、お疲れ様」
 そういえば椙森はサッカー部なのにどうして校内から出てきたのだろう、と日向は目をすがめる。その視線に気づいたのか、彼は目を細めてこう言った。
「雨降っても帰らせてくれないんだよな。廊下で筋トレだったんだ」
 ふーん、と日向は軽く頷いて視線を前に戻す。
「傘ないんだろ? 入ってけよ」
 椙森は日向の隣に並び、パンと傘を開いた。
「えっ」
 驚いて思わず日向は固まってしまう。椙森は雨の中へ一歩足を踏み出しかけて、そんな日向へ振り向いた。
「なにやってんだ、早く入れよ」
「あ、うん……じゃあ、お邪魔します」
 仕方なく、日向は足を踏み出した。溜息を呑み下して椙森に並ぶ。
 そろって歩き出し、日向はちらりと横目で椙森をうかがった。常より数センチ高いであろう腕の位置を見て、日向は声を掛ける。
「……私が持とうか?」
「なんで? いや、いいよ」
 あっさり言って、椙森は断った。
 ――椙森は、日向より数センチ背が低い。だから日向は、椙森が苦手だった。
 日向は、背の低い男子にちょっとした偏見を持っている。どうも卑屈というか、妙に背丈にこだわる奴が多いと思う。著しく背の低い男子は、開き直っているのかどうでもいいと思っているのか、自分の背の低さを笑いのネタにしたり、明るく振る舞っている者が多い。要注意なのは女子の平均より高く、男子の平均より低い、微妙に背の低い連中だ。
 そういった者に、日向の様な女子は妙に目の敵にされることが多い。強いコンプレックスがあるらしく、隣に並びたくないのか、避けられることも多い。標準的な背丈の女子でも、段差などで上から見下ろすと嫌な顔をされるということも聞いた。
 世間一般にはどうだか知らない。だが、日向が出会った中にそういった者が多いことは事実だ。だから日向は背の低い男子に対して、警戒心を持っている。
 日向が嫌なのは、嫌な思いをしているのは自分だけだと、奴らが思っていることだ。
 日向だって、自分の背があと十センチ低ければ、と思ったことなど何度もある。
 どうして、そういうことがわからないんだろう。
 椙森が傘を手渡すことを拒んだのも、そういうコンプレックスの一種なんだろうかと、日向はそう思いつつ帰った。


「……これ、どうしたの?」
 その日、日向が荷物を置くために司書室に入ると、机の上に段ボールが積み上げてあった。
「ああ、なんかねえ、処分する分なんだって」
 渚ののんびりした声を受け、数えてみると四つもあった。
「処分って……要らない本、こんなにあるの? もったいないなあ」
「えっとね、破れたり痛んだりした本ももちろん入ってるんだけど、辞書とか受験関連の本を一新したからそれだけあるんだって。……で、ね、ヒマワリちゃん、これ倉庫まで運ばないといけないんだけど」
 渚を見ると、案の定、両手を祈りの形に組んでいた。
「お願いしてもいいかなあ……?」
「いいよ」
 日向は苦笑しつつ頷いた。渚をずるいと言う気はない。だいたい、自分が運ぶと言われても日向が困る。倉庫は、階段を一つ降りて、廊下の突きあたりまで行ったところにあった。
「ありがとう、ヒマワリちゃん。私、新刊購入の手続きの件で職員室行ってくるからお願いね。あ、助っ人もちゃんと頼んでおいたからよろしく!」
 入荷希望アンケート等を取りまとめると、渚は慌ただしく司書室を出ていった。それを見送って、日向は息を吐く。
「……助っ人?」
 渚の最後の言葉に引っかかりを覚えつつ、日向は段ボールの上に手を置いた。そこで、まだ鞄を肩に引っ掛けたままだったことに気づいて、椅子の上にそれを下ろす。
「お邪魔しまーっす」
 そのタイミングで、司書室のドアががらりと開けられた。見ればクラスメイトの椙森で、日向は思わず言葉を忘れた。
「なんか、荷物運んでくれって頼まれたんだけど。あ、この段ボール?」
 訊かれて、日向はなんとか頷いた。日向が椙森をどう思っていようと、椙森が日向をどう思っていようと、とりあえず手伝ってくれることはありがたい。気にしないように意識を傾けて、日向は段ボールの底に手を掛けた。よいしょと持ち上げようとしたところ、
――あ、おい……!」
 椙森に声を掛けられ、そちらを向こうとした瞬間、日向は両腕にかかる重さにがくりと膝を付きそうになった。だが、その途中で椙森が段ボールを取り上げて、事なきを得る。
「俺が運ぶことになってるんだろ」
「いや、渚は二人で運ぶつもりで呼んだんだと思うけど。……っていうか、これ、重いね、二人で一箱ずつ持つ?」
「……いいから座ってろ」両腕がふさがっている椙森は、顎をしゃくるようにして日向を促した。「紙ってのは重いんだよ、女子に運べる重さじゃないだろ。あとこんなもんちまちま二人で運ぶぐらいなら、一人で持ってく方が楽」
 そう言って、椙森はさっさと一つ目の段ボールを持って行ってしまった。誰かが働いている横で何もしないというのは日向には落ち着かず、仕方がないのでお茶を入れることにした。と言っても、冷蔵庫から作り置きのアイスティーと氷を出すぐらいのことだったけれど。
「……っていうか、私より小さい癖に」あんなもの運べるなんてずるいな、と日向は呟いた。自分が渚の期待に応えられなかったことが悔しくもある。
 さくさくと作業は完了して、日向は自分がお茶を出した手前もあり、椙森と二人で机を囲むことになってしまった。とりあえず、手伝ってもらったことにはお礼を述べておいた。
「そういえば、青井ってさ、なんでヒマワリって呼ばれてんの?」
「……ああ、えっと、青井って字を草かんむりのあおいに変換して、名前を下から読むと向日葵になるから」
「へーえ、向日葵って真っ直ぐ伸びるもんな、カッコイイじゃん」
 そう言われ、日向は複雑な気分で下を向いた。
「かっこいいって言われても、あんまり嬉しくないんだけど」
「なんで? 悪い言葉じゃないじゃん」
 そんな椙森に苛立って、日向は言葉を続ける。
「じゃあ椙森くんは、可愛いって言われたら嬉しい?」それは皮肉だったのだが、
「え? 嬉しいけど」
「え?」
 予想もしなかった返事に、日向は思わず言葉を詰まらせた。
「そりゃあ、悪意で言われてるなら嫌だけど、そうじゃなかったら褒め言葉じゃん。好意的に思ってくれてるんだろ、嬉しいよ」
「……そっか」
 無邪気に笑う椙森を見て、そうか、そういう考え方もあるのか。と、日向は思った。

<了>


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2011 07 25