嫌な人と嫌じゃない人。

ストロベリー

「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」
 大きな花瓶を両手でえっちらおっちら運んでいたら、後ろから声を掛けられた。
 振り向くとそこに、下っ腹がでっぷり突き出た狸のような体型のおじさんが立っていた。
「ああ、ご苦労様です。なにかご用でしょうか?」
 私は軽く首を傾げる。
 おじさんの顔は見知っていた。最近私は、城内で通訳の仕事を少しずつしていて、彼は外国から客としてやってきた人だったのだ。ニ、三日滞在していたが、確か今日で帰国だったかと記憶している。
「いやあ、数日間、通訳助かったよ。なにかお礼をと思ってね。さっきそこでカップケーキを買ってきたんだが、食べないかい」
 とおじさんはおいしそうなカップケーキを目の前に差し出す。
 うーん、と私は困って唸ってしまった。
「申し訳ないのですが、両手がふさがっていまして……」
 純然たる事実だが、どちらかといえば口実だった。まだ、袋詰めされたものを紙袋かなにかに入れたものだったら受け取ったかもしれない。でも、おじさんのむき出しの指で袋からつかみだされたものにかぶりつこうという気にはなれなかった。
 いま食べるとしたら、どうやったっておじさんの手ずから、ということになってしまう。なんといっても私は、両手がふさがっているのだ。
 案の定、おじさんは、じゃあいま食べればいいよ、と私の口元の高さにカップケーキを持ってくる。
「いえ、ひと口で食べられるサイズでもありませんし、床を汚してしまいますから」
 諦めろオーラを出しつつ言ってみたが、おじさんには通用しなかったらしい。
「じゃあ、これなら食べられるかな」
 おじさんはそのぶっとい指で、カップケーキを四つに割った。その一つをつまんで、私の口元に差し出す。この時点で私は、うわあ、とかなり引いていた。
「お手が汚れてしまいます。どうぞお気づかいなさらず」
 ノーと言えない日本人。私のまわりくどい断り文句は、なかなかおじさんに通じてくれないらしい。
 ああ、どうしよう。諦めてひと口食べれば退散してくれるだろうか。困ってぐるぐる考え込んでたら、そこに救いの主が現れた。
「どうしましたか。彼女が、なにか?」
「キリルさん!」
 私は慌てて、キリルさんの後ろに隠れるようにした。キリルさんは、おじさんと同じ国の人なので、言葉は通じているはずだ。おじさんは、いやちょっとお礼をね……ともごもご言っていたが、結局諦めて去っていった。ちょっとだけ、おじさんに悪かったかな、と私は思う。
「大丈夫じゃったか、ヒカリちゃん。目が潤みようよ」
「えっ、だ、大丈夫です」
 思わず慌てた。ちょっと涙目になっていたらしい。
「そんなに、嫌がるようなことだったか?」
 しかし、キリルさんと一緒に来ていた熊さんはなんとも思わなかったらしく、疑問を投げかけてきた。
「そりゃ、嫌じゃろう。よう知りもせん人の指を、口ん中突っ込まれていい気はせんじゃろ」
 妙に具体的なキリルさんの説明を聞いて、なんだか気分がよりげんなりしてしまった。花瓶を持ってくれるというキリルさんの申し出をやんわり断って、私は熊さんが持っていた籠の中身を覗き込む。
「わあ、苺ですか? こんなにたくさん」
「ま、ちょっともらいもの。厨房に持っていくところだ」
「へえー、おいしそうですね」
「食うか?」
 私の言葉を受けて、熊さんは苺をつまんで私の口元に近付けた。
「……あの、さっきの話、ちゃんと聞いてました?」
 おじさんとのやり取りを見ていただろうに、熊さんの行動に私はびっくりした。
「聞いてた聞いてた。ほら、口開けろ」
「え、えっと」
 とりあえず考えないことにして、私は小ぶりで瑞々しい赤色をしたその苺を口に含む。その拍子に、熊さんの指の端を少しだけ舐めてしまって、私は肩をびくっとさせた。
「なんだ、ちょっと指かじったぐらいで怒らねえよ」
「いえ、そういう意味じゃないんですが……」
「じゃあどういう意味だよ」
「なんでもないです!」
 顔が赤くなってきたような気がして、私は思わず下を向く。
 しかし、すぐにいたたまれなくなり、お先に失礼します! と言い置いて私は走り出した。


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2010 09 04