平行線ニあら

 終礼の礼が済むと、一気に教室内が騒がしくなった。
 私も慌てて机の中身を鞄に放り込んでいると、友人が私の席までやって来る。
「ねえねえすずな、このあと帰りに遊んでいかない?」
「わー、ごめん、今日小太郎こたろうちゃんと駅前の新作ケーキ食べに行くの!」
 折悪しく予定の入っていた私は、慌てて友人二人に謝った。
「ゆっちゃんとこのみちゃんも一緒に行く?」と誘ってみたのだが、
「いやいや」「めっそうもない」とさっさと断られた。たまに誘ってみても、乗ってきてくれたことは一度もない。
 小太郎は、挨拶するのも誰かと一緒にいるところを見るのもいいけれど、近くで愛でたい対象ではないのだそうな。
 そんな、めいっぱい可愛がっている私はどうなるのだ、と言ってはみたが、あんたはそれでいいでしょ、と呆れられるばかりだ。
 そう、私は小太郎を愛でている。愛情たっぷり可愛がってやってるのさ、と言いたいところだが、傍からは私が一生懸命構ってもらっているようにしか見えないらしい。心外である。
 ともあれ、私は待ち合わせの校門前まで階段を一段抜かしで飛び降りつつ、てってけ駆けて行った。
「おーまーたーせー、小太郎ちゃん、待った?」
「いや、別に」
 口調はそっけないが、小太郎は私の上がっている息が整うのを待ってから、ゆっくり歩き出した。
 小太郎は、名前と本人の印象がちぐはぐなやつである。
 名前負け、どころか、思いっきり負けているのは名前の方だ。背は一八〇を超える高さで、体格もガッチリしている。眼つきも悪いし無愛想だし、まったく冗談の通じなさそうなオーラを醸し出している。
 あれ、なんで私こんな人の隣歩いてんだろう、と我に返りそうなぐらいだ。ほんとにそう思ったことはないけど。
 駅前の小奇麗な喫茶店に入ると、二人ともケーキセットを注文した。私はロイヤルミルクティーを頼んだのでちょっと割高だ。おいしいからいいけど。
「すずな、新作タルトじゃなくていいのか」
 私の注文を聞いて、小太郎は首を少し傾ける。いつもは私が真っ先に新作を注文するからだ。
「え、だって今日は小太郎が先に頼んじゃったんだもん。同じの頼むの勿体ないじゃないー」
 ああ、そう、と小太郎は頷いた。訊いてみただけで本当に疑問に思ったわけではないのだろう。私がしょっちゅう付き合わせている所為で、小太郎には読めている。そっちと一口交換しよう、が二口になり三口になるということを。
 なにも毎回小太郎じゃなくてもいいと思うのだが、どうしてもいつも小太郎を誘ってしまう。おいしいものは小太郎と食べたいと思うし、おいしいものを食べると小太郎に食べさせてやりたいと思う。そういう思考回路になってしまっている。
「すずな、はい一口」
 と小太郎が突き出したフォークに私はぱくりと食いついた。おいしい。小太郎はというと、はいあーん、はやってくれなくて、いつも私の皿から適当に一口切って口に運んでいる。そもそも私が切ると下手くそで、ケーキがぼろぼろ崩れていってしまうのだ。
「お客様方、すごく仲がいいんですね」
 すっかり顔なじみになってしまったウエイトレスさんが、トレイを脇に抱えながらくすくす笑っていた。
「はい、姉弟ですから!」
 私は元気いっぱいに答える。


 その夜、予備校に小太郎が迎えに来たので、私たちは並んで帰った。
 一階のロビーでカイロ替わりに買った缶コーヒーを、ポケットから取り出して私は口に運ぶ。缶はまだ熱かったが、中身は少しぬるくなっていた。小太郎にも一本買い与えたが、彼はすぐにさっさと飲んでしまい、空の缶を手に歩いている。
 缶を捨てるために、近所の公園の中を横切った。ゴミ箱があるからだ。
 開けた空間に、びゅうと風が吹き込んで、私はくしゅんとくしゃみをした。
「すずな、平気か」
 コートの前を開けて、小太郎が譲る仕草をするが、私は大丈夫と手を振った。
 それから切りだした。
「あのね、小太郎、おねーちゃん県外の大学に行くからね」
 まだ合格が決まっているわけではないが、模試ではB判定のプラスだった。たとえ第一志望が受からなくとも、滑り止めも県外の大学に決めている。
 ああ、そう、と小太郎は短く答えた。
「そりゃなんか、うちに遠慮してるわけ」
 小太郎の言葉に、私は小さくひゅっと息を吸った。
 ――ああ、やっぱり。やっぱり知ってたか。
 私と小太郎は他人から見ても仲が良いが、それは二人が姉弟だったからだろうと思う。
 だいたい、小太郎みたいなタイプは、私は苦手なのだ。赤の他人だったら、関わり合いになりたくないから避けていただろう。でも姉弟だったので、私は小太郎と関わりを持った。私は姉だったから、彼に対して高圧的に出られた――それがどんなにから回ったものだったとしても。姉というポジションを持っていたからこそ、小太郎を怖がらずに済んだ。
 一方の小太郎も、私と仲良くなったのは、私が姉だったからだろう。彼は冷たいように見えて、家族にはそれなりの情を持っている。私が姉だったので、ある程度の我が侭も許容して、私を立てようとしてくれている。もし私が妹だったら、しつけのために、我が侭はがっつり矯正されていたに違いない。
 とはいえ、ほんのちょっとの遠慮もあって、それがもどかしかったり、それがために上手くいっていると思えたりしている。
 ――私と小太郎は血が繋がっていない。
 それを知ったのは、ずいぶん大きくなってからで、高校入学のときに戸籍謄本を見て知った。
 私の両親は、私が小さいときに事故に遭って亡くなり、そのあと私は遠縁の小太郎の家に引き取られたのだ。物心つく前の頃のことだったので、すっかり忘れていたのだが、事実を知ってからはそれに引きずられるようにして思い出した。
 いまの両親が何も言わないので、私も話題に出さないようにしていた。
 でも、小太郎は知っていたみたいだった。私たちはお互いに、たぶん、相手も知っているんだろうなあ、と思いながら、それを一度も口に出さなかった。口に出さなければなかったことだ、みたいにして、日々口をつぐんで暮らしていたのだ。
 それなのに、小太郎は、今夜、決定的なことを口にした。
 そのささいな一言で、私たちの関係は壊れてしまった。事実とはいえ、ちょっぴり悲しかった。私は、小太郎の姉というポジションにすがっていたかったのだ。捨てたくなかった。家族でありたかった。そうでないということを、知覚したくはなかったのだ。
「ひどいなあ小太郎ちゃん、それは言わなくていいことじゃないのかなあ」
 困ったように眉を寄せて、咎めるように、けれど口調は明るく、私は口ごたえをした。直接的な言葉にはしなくても、小太郎は言外に、血が繋がっていないから、と言っていた。
「そうか。俺はすずなのこと、姉だなんて思ってない。思ってなかった」
 その言葉はちょっとショックだった。確かに、姉らしくはなかったけど、私は姉弟だと思っていたのに。同時に、小太郎の話しぶりから、小太郎が事実を知っていたのは結構前からだということを知った。
「じゃあ、なんだって思ってたわけよ」私は噛みついてみせたが、
「教えない」と小太郎はふてぶてしく口の端を上げて笑んだ。「すずな、家出たらリミッター解除だからな。俺は遠慮しない」
「はあ?」
 唐突過ぎる小太郎の言葉に、意味がわからなくて首を傾げたら、一つ年下の義弟は、弟にあるまじき無礼さで、笑いながら私の頭を撫でた。

<了>


novel

2010 04 12