花とほころぶ

 最近、キーツの態度が少しよそよそしいような気がする。
 いつものように差し入れに行った帰りの道を、リリアは溜息を吐きながらたどった。
 最初に距離を置いたのはリリアの方だった。
 昔のようにキーツに構ってもらえるのが嬉しくてそれに甘えていたリリアだったが、高揚した気持ちは少しずつ少しずつ、日が経つにつれ苦痛へとすり替わっていった。スキンシップが嫌なのではなかった。その苦味は最中ではなくむしろ、終わった後にじわじわと来るものだ。
 リリアはキーツに恋心を抱いている。
 でもキーツから返される愛情は、彼女のそれと同じものではない。
 一呼吸置いて冷静になったあとで思い至るその考えは、いつでもリリアを打ちのめした。思い知らせた。
 リリアのことを年頃だ年頃だと言うが、当のキーツが家庭を持っていて当たり前の様な歳だ。彼と同い年の隊員は、妻どころか子までもうけている。
 となれば、恋人がいないのが不思議なほどだ。もしキーツに恋人がいれば、その相手にはリリアと同じように接するのだろうか。違うのだろうか。
 そこでいつも息がつまり、リリアの思考はそれ以上先には進めなくなる。
 まるであの頃のようだ。受け取る愛情が自分の望んだものと違うからと言って、思考に蓋をしたあのときの。自分は何も成長していないと、リリアは唇を噛んだ。
 だから提案したのだ。過剰なスキンシップは今後控えてほしい、と。
 表面上は納得してそれに従っていたキーツだったが、その実、構いたくて堪らないようなうずうずした雰囲気はこちらに向けていたものだ。
 ――それが、なくなった。
 最近のキーツは、表情や会話のやり取りは依然と変わりない。だが手前に一線引いて、そこからは決して踏み込んでこないような慎重さが見え隠れするようになった。
 自分の所為だと思う。タイミング的にはぴったりだ。
 きっと、リリアの気持ちを持て余しているのだろう。寂しがるキーツをなだめるために与えた、たったひとつのキスの所為で。そのキスの意味の解釈に、きっと困っているに違いないのだ。
 二人の間の壁はリリアが作ったのだ。リリアのことをなんとも思っていないのなら、どういう解釈もしてほしくはなかった。リリアは逃げている。考えると頭の中がぐちゃぐちゃになって、思考を放棄したくなる。
 いつものように会いに行った今日は、少し考え過ぎて辛くなった。だから、挨拶もそこそこに、すぐ帰ってきてしまったのだ。


「ただいま」
 意気消沈している所為で呟くように帰りの言葉を口にして、リリアはゆっくり家のドアを開けた。
 両親の姿が見えなかった。父はいつものように店に出ているのだろう。今日の分のパンは焼いてしまっているので、あとは売り切るだけだ。母も店だろうか。
 リリアは空になったバスケットを静かにテーブルへと置いた。
 親に声をかけてこようと、店に続く廊下をたどる。表に繋がるドアの前に立ってノブに手を触れたとき、扉を隔てた向こうから両親の会話が聞こえてきた。
――でも、見合いなんて――気がはや――
――いい加減いい歳――から――ないわよ――
 ……見合い?
 リリアは驚いてそのままの姿勢で固まってしまった。疑問を投げかける父の声に、母が答えている。誰の見合いの話だというのだ。ところどころ聞きとりづらいが、動くと見つかってしまうとの思いに、リリアはそれ以上動けなかった。
――いらん世話――ないか?」
「大丈夫よ! 先方の了解はちゃんと――――だから!」
 リリアは思わずドアに頭をぶつけそうになった。
 母がこういう言い方をするということは、どこかから仕入れてきた噂話というわけではなく、当事者側だという可能性が高い。母が誰かの見合いを取り仕切っているのだ。
 自分のことかと思ったが、「いい加減いい歳」などと言っているからには違うような気がする。
 これは――キーツのことではないだろうか?
 そう思ってリリアの身体は小さく震えた。


 息を吸った。
 吐いた。
「リリ、どうかしたか?」
 話を切り出すのに迷って深呼吸を繰り返すしかないリリアに、キーツが声を掛けた。皆の談笑の中、ひとり静かなので気になったらしい。
「えっ……なんにも?」
 リリアの肩がぴくっと上がる。慌てて否定したそのあとで、リリアはそうっとキーツの顔色を伺うようにした。
「あの、キーツ兄って……恋人いる?」
「は!? ……いないよ、なんで?」
 それには答えず、うーん、とリリアは顎に指を当てる。
「結婚のご予定は?」
「……ないです」
「お見合いとか?」
「……ないよ?」
 キーツの表情が疑問符だらけになったところで、リリアは質問を止めた。少なくとも、キーツ本人はその話を承諾していない。……キーツではないのだろうか?
 訝しげに顔を覗き込んでくるキーツに、純粋な疑問であって他意はない、とリリアは笑顔であしらっておいた。
 キーツではないとしたら、「いい加減いい歳」の、「先方に了解を取り付けて」まである、見合いの当事者とは誰なのだろう。リリアやキーツとは全く関係のない人物である可能性はあるが、それにしては父が口出しをするなんて珍しい。
 結局、リリアの疑問は晴れなかった。


 その日、リリアが店番をしていると、奥から母が出てきて彼女を手招いた。
「リリア、ちょっと出かけてきて」
「いいけど……どこに?」
 母がこちらにやってきたので店番を交代するつもりなのだろう、そう了解してリリアはエプロンをほどいた。今日は店にいる予定だったので、確かに他の用事は入っていない。お遣いだろうかとリリアは首を傾げた。
「うん、ちょっとお見合い行ってきて。綺麗にしてね!」
「おみ――って、えっ、ええっ!?」
 リリアは驚いてエプロンを取り落とした。
「ま、待って、何の話!?」
「うーん、この前花嫁衣装も見たし、お見合いもしていいと思わない? 別に会ったからって結婚しろっていうわけじゃないし、わー、娘がお嫁に行くかも! みたいなどきどきを母さんに味わわせてくれてもいいんじゃないかな!」
「ど、どういう理屈なの……」
「うーん、とりあえず先方との約束もあるし、いってらっしゃい!」
 と半ば強引にリリアは放り出されてしまった。
 まったくわけがわからない。どうして事前に教えてくれないんだとか、母は付き添いとして来ないのかとか、いろいろ訴えてはみたが、だって話が広まったりするの嫌でしょ? と娘の性格を飲み込んだ発言をされて、リリアは返す言葉がなくなってしまった。


 指定された店に行き、リリアは予約名になっていた母の名前を告げた。
 案内された先は個室だった。
 重苦しく洩れる溜息を押し殺し、リリアはゆっくりと部屋を覗いた。
――遅い」
 待っていた人は、リリアの顔を見るなり不機嫌そうな声を出した。脇に置いたグラスの水が、残り三分の一程度に減っている。
「……ライール」
 そこに居たのは、ひとつ年下のリリアの幼なじみだった。
 ぽかんと半開きの口の間抜け面を晒しながら、リリアは促されるまま席に着く。
「……お見合いって……ライールと?」
 緊張感はすっかり溶けて消え去ってしまった。ゆるゆると働き出した頭でリリアはライールに尋ねる。
「そんなわけないじゃん」
 ライールの態度は素っ気ない。だいたい、ライールの歳はまだ十五だ。お見合いまでお膳立てするにしては、いくらなんでも若すぎる。
「俺は、本命が来るまでの繋ぎ。来て誰もいなかったら、おまえ帰るだろう」
 リリアの母ユーミアの企みに、ライールは巻き込まれたかたちになっているらしい。なにしろ幼少期の頃からのライールを知るユーミアは、いろいろと彼の弱みを知っているのだ。
 まあ、こういうつもりらしいけど、とライールは水をひと口飲んで、ユーミアの企みについて説明する。
 それを聞いてリリアは、うわあ、と両手で頭を抱えてしまった。
「まったく、お母さんったらそんなこと考えて――
――リリア!」
 その瞬間、泡を食ったようにキーツが室内に飛び込んできた。荒い息を吐いた顔をこちらに向けたかと思うと、混乱したかのように眉根を寄せる。
――じゃあ、そういうわけだから、あとはなんとかしとけ」
 キーツが来たことを確かめると、ライールはすっと立って部屋から出て行ってしまった。
 え、ときょろきょろするキーツを見て、リリアは小さく息を吐く。お母さんになんて言われて来たの、と返答を促すと、
「えっと、リリが意に副わない見合いを強いられてる、とか……?」
「キーツ兄、お母さんにからかわれたのよ」
 とは言えめかし込んでいるリリアにキーツは首を傾げつつも、とりあえず座って、という彼女の言に従った。リリアはここで食事をして帰るつもりでいた。先払いでコース予約がなされているらしい。無駄にしては勿体ないというものだ。
 母の企みでは、今日はリリアとキーツの見合いだったらしい。ライールの説明でそうと知った。「いい加減いい歳」なのはキーツのことで、「了解を取り付けてある」先方とはライールのことだったようだ。キーツの年齢を考えると、焦らなければいけないのはリリアの方だ。近衛隊の人気と結婚適齢期を考えると、いつ誰に取られてしまうとも知れなかった。キーツにリリアの見合いのことを吹き込んで、邪魔しに来るか、つまり脈があるかどうか自分で見極めろということなのだろう。
 リリアは溜息を吐いた。キーツが好きなことは母には気付かれていると知ってはいたが、まさか恋愛の根回しをされるとまでは思っていなかった。母親にって。それはさすがに羞恥を覚えてもリリアの所為ではあるまい。
 結局、キーツは来てくれたが、脈ありかどうかなんて全然わからない。
 またひとつ息を吐くと、溜息ばかりのリリアにキーツが困ったような顔をした。それを見て、リリアは慌てて礼を言う。
「お母さんが、ごめんね。来てくれてありがとう」
「……うん」
「えっと、あの、ね」この際だ、気になっていることを切り出そうと、リリアは口を開いた。「最近、前みたいに構ってくれなくなったよね? どうしてかなあって思ってるんだけど」
 厳密に言えば、密なスキンシップを拒んだのはリリアの方だ。でも明らかに態度が変わったのはキーツの方で、それに気付いているということをリリアは知らせたのだった。
 背もたれに体重を預けて、腕を組んだキーツはうーんと苦笑してみせ、
「意識してる、のかな」困った顔をしつつも回答をくれた。
「え?」
「なんだか最近、年頃の女の子に見えて困るんだけど。どうしようね? 今日だって、大人っぽい恰好してるし」
「……!」
 そういう褒め方をされたのは初めてだった。見る間に頬に血が上るのが、自分でもわかった。リリアは思わず、両手で頬を押さえる。
 ――これは、脈ありって思っていいのかな?
 リリアがどう出るかそわそわしているキーツに、リリアは教えてあげようと思った。
 リリアの初恋が誰なのかってことを。
 そして、その恋はいまだに続いているんだってことを。

<了>


novel

2011 02 14