いつだって息が出来なくなる。

雨音のシリウス

 昼食の後、中庭で談笑していたらざあっと雨が降ってきた。
 しとしと、というかわいらしいものではなく、ばたばたばたと凶悪なやつだ。
 それだけに、通り過ぎたらまたからっと青空が顔を覗かせるんだろうな、と思っても、降られている最中はたまったものではない。
 校舎内に駆け込みつつ、いつも面倒を見ている習性で、ブラウは大丈夫かな、と斜め後ろを振り返る。
 すると、アインが咄嗟に上着を脱いで、ブラウの頭から被せかけたあとだった。
 うらやましい、と思ってしまった自分が妬んだようで悔しくて、私は駆け戻る足をもう少し速める。
 廊下にぽんと飛び込んだときには、荒く息を吐いていた。
 そのとき廊下を歩いていた男子生徒が、こちらに気づいてふらりと近寄った。周囲が暗くてよく見えない。
「エルザさん」
 声を聞いた瞬間、背筋がぴんと伸びた。ヴァルドだ。
「……あ」
 顔を見た途端、恥ずかしくなる。中途半端に濡れた、みっともない髪を晒していると自覚した。カッと頬が熱くなり、同時に心拍数が上がる。
「降られましたね」
 うん、と頷くと、ヴァルドはポケットにすっと手を入れた。毎度の展開だ。そこから奇麗にプレスされたハンカチが出てきて、用意がいいなあと口元が緩んだ。
 そうして彼はハンカチを貸してくれる。そう、いつもなら。
 しかしハンカチを持ったまま差し出された手は、私の目線の辺りまで掲げられ、え、と私は当惑の息を吐いた。
「風邪、ひかないでくださいね」
 するりと、髪に手があてられた。布で髪をひと房ずつ挟んで滑らせ、ヴァルドは少しずつ水気をふき取ってゆく。
 その仕草の途中で、彼の指の節が私の頬や首筋を掠める。
 私は、息をひそめるようにして立っていた。
 心臓の音が静まらない。こんなに近くにヴァルドが立っていて、私に触れているという事実に、目がくらみそうだった。
 頭の中が真っ白になりそうになりながら、黙っているのも気詰まりで、私は無理に話題を探す。
「ヴァルドって、いつもハンカチとか、きちんとしてる感じだけど、お家のしつけがきちんとしてるのね」
「おれの親は人並みだと思いますけど、姉が結構気にするんです」
 話しながら、ヴァルドの手は後頭部の方に移る。一瞬、抱きしめられたような錯覚に陥って、うわ、とまた心拍数がひとつ上がった。
「そ、そうなんだ。敬語もお姉さんが、って言ってたよね」
「はい。見た目で判断されないようにしろと。でも、見た目で判断されることは絶対にあるとも言ってました。だから、たとえマイナスの評価からスタートしても、中身がきちんとしていれば正当な評価が追いつくはずだと。そう心がけろとの姉の言葉です。彼女も、見た目で誤解されたことがあるみたいですから」
「……へえ、いいお姉さんね。ちょっと、話してみたいな」
「はい、こんど紹介しましょう」
 ちょうど話の区切れと共に髪の方が終わって、私はお礼を言った。
 この時間の間にブラウたちは察して先に戻ってしまったようなので、私はヴァルドとゆっくり戻ることにした。
 そうして気づいた。
 ――さっきの会話が、家族に紹介しろという流れだったということに。
 私の心臓がまた乱れて、ひとりで青くなったり赤くなったりしている横で、ヴァルドはいつもどおりの顔で歩いていた。


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2009 11 23