花びら吹雪

 卒業式の日を境に、悠介ゆうすけの軟派振りはぴたりと鳴りを潜めた。
 大学に入り、へらりとした雰囲気を振り撒くのをやめた。人あたりは柔らかいが、いま一歩内に踏み込ませない。しかし、それがかえって構いたくなるらしく、女性が寄ってくるようになった。自らを装うことをやめた途端にもてるようになったとは、なんとも皮肉な話である。
 悠介は必要以上に他人に踏み込まれるのは嫌いだが、群れを成して騒ぐのは嫌いではない。今日も五、六人の男女混合の友人に囲まれて、飲みに誘われているところだった。
 迷惑にも横に列を成して歩きながら、門に視線をやったところで、悠介の足はぴたりと止まった。
――え?」
「あ、ゆうちゃん」
 悠介は我が目を疑った。ぱたぱたと、踊るような足取りであかりがこちらに駆けて来る。ふんわりと、だが可愛らしすぎず、清楚な雰囲気の大学生のあかりだ。進学のためにこっちに引っ越して以来、あかりとは会っていない。たったひと月だとは言えるが、これまでずっと一緒にいたことを考えると、長い空白だった。
 だからこれが久々の再会となるのだが。
「ど、どうしたのあかりさん。こっちに来るなら連絡ぐらい――
「ごめんね、突然。ちょっと顔見せのつもりだったの、あとゆうちゃんの大学も見たかったし」
 へへ、とあかりは少し自信なさげに笑う。悠介は薄々気が付いた。いままで、悠介があかりとの間にさりげなく壁を作ってきた所為で、あかりは悠介にどこまで踏み込んでいいのか、我侭を言っていいのか、距離の測り方がわからなくなっているのだ。
 悠介の心臓が、ぎゅっと締まって息が苦しくなった。
 あかりのことだ、もしここですれ違っていたら、諦めて地元へと帰ったのだろう。それこそ、悠介にはなにも言わずに。
「誰?」
 突然、耳に周囲のざわめきが戻ってきた。そういえば、友人を置き去りにしたままだったのだ。
「俺の幼なじみ」
 後ろから近づく奴らに、振り向いて悠介はそう答える。
 他に答える言葉を知らなかった。二人は厳密には付き合っているわけではない。あの、気詰まりのような幸福のような卒業式の日に、二人の関係を無理やり何かの言葉に押し込めるのが怖くて、壊れそうな空気が怖くて、お互いの言葉はそのまま宙ぶらりんになっている。
――あ、そうだ、ゆうちゃん飲み会に行くんだよね」あかりが言う。どうやら、先ほどの悠介たちの会話を聞いていたらしい。「行ってらっしゃい」
「っち、違うでしょ!」
 あかりの言葉にのけぞりそうになり、思わず悠介はあかりの両手を取って、ぎゅうと握り締めた。
 ざあっと風が鳴って、桜の花びらが舞い踊る。
「違うでしょ、俺はこいつらとの約束を捨てて、あかりさんの方をとる」
「え、でもゆうちゃんのお友達に悪いよ」
「悪くない、絶対悪くない」
 いっそ依怙地なほどに、悠介はきっぱりと言い切った。常に周りのバランスを見て、言葉を選択する悠介にしては珍しい。
「そうだ、悪い悪い」
 しかし、友人たちは悪乗りして悠介の邪魔をしようと間に入る。
「うん、だからあかりちゃんとやら、君も一緒に来ればいいんだよ」
「え、でもご迷惑――
 当惑しつつも、本気で嫌がっている風でもないあかりに、もう一押し、と彼らが熱意を目に浮かべた瞬間、
「だめ、だめだめ絶対にだめ」
 悠介がずずいと割り込んで、あかりを背中に隠した。
「あかりちゃんとか言うな、ずうずうしい。だいたいなんで、あかりさんとの貴重な逢瀬の時間を君たちに振り分けないといけないわけ」
 いつにない態度に、悠介がむくれたー! と友人たちはひとしきりげらげらと笑った後に悠介を解放した。
 呆気にとられたあかりの背を、軽く促して悠介は「行くよ」と歩き出す。
「ゆうちゃんって……大学ではいつもあんな感じ?」
「ううん、いつもはもっと傍観者……だってあかりさんが来るから……」
 悠介は歯切れ悪く答える。うっかりみっともないところを見せてしまって恥ずかしい。
「ところで、あかりさんって」なかなか見えないあかりの本心に焦れて、悠介は問いかける。「やきもちとか焼かないの。さっきもあっさり行ってらっしゃい、って言ったけど、女の子もいたのに」
「だって、ゆうちゃんが女の子と遊びに行くのなんていまさらだし」
 墓穴を掘った。
 しかしあかりは拗ねた様子も見せない。彼女にとって、悠介のほうから強固に築かれていた壁が取り払われただけで、充分に幸福なことなのだ。
「こうやって、一緒に歩いているだけで嬉しい」
 ずっと同じ学校だったから、ずっとご近所さんだったから、ずっと一緒にいたけれど、一対一でお互いを見つめたことなどなかった。学校が変われば、繋がりの糸は切れると知っていた。
 だからあかりは嬉しいのだ。お互いが望まなければ会うことなど叶わない、物理的に距離が離れたいまもなお、こうして二人でいることが許されるのが。
 悠介も、この距離感に嬉しい反面戸惑っていた。
 いままで、触れないことが大義だったのに、その掟を破り、どこまで踏み入っていいのかわからない。
 悠介は手を伸ばして、隣を歩くあかりの指を、軽く握ってみた。
 先ほどは友人とのやり取りの最中に思わず握ってしまったが、意識してみればやわらかい指だった。
 胸の早鐘が痛い。いままで自分に課してきた、禁忌の味は知れば酷く甘美だった。
 この瞬間、悠介もまさに幸福を覚えていた。
 ――いや、ずっと幸福だった。あかりと出会ってから、彼女を見守ってきたこれまで。
 ただ、その幸いの道が、未来へと伸びていることが嬉しいのだ。


 また、ざあっと風が吹き荒れて、桃色の花を空へと散らした。

<了>


novel

2009 10 20