二人のモテおとこ ~恵篇~

 めぐむが朝方の図書室に呼び出される確率は高い。
 面倒くさがりで他人と無闇に深く関わることを良しとしない恵は、たとえ呼び出されたとしても正当な理由があると認めない限りすっぽかすことも多い。そんな恵が、朝の図書室だけは呼び出しに応じると、妙な誤解を呼んでさらに朝方の呼び出しが増えた。
 いい迷惑だと思う。だいたい、図書室へは呼び出しがあろうとなかろうと自由意志で出向いているのだ。妙な勘違いをされて辟易している。それでも図書室通いをやめないのは、敗北を認めるようで面白くないと感じる、恵の自尊心から来る弱さの所為だった。
 図書室の戸を開けると、既に一人の女子生徒がお待ちかねだった。
「あの、恵先輩……っ」
 呼びかけられて恵は露骨に嫌な顔をしてみせたが、彼女の表情は一向に構う様子もなかった。続きの台詞も聞き飽きたな、と溜息をつきながら恵は先手を打つ。
「俺はあんたと付き合う気はないね。だいたい、迷惑なんだよ。どいつもこいつもいちいち人を呼び出しやがって」
「そ、そんな言い方って……」
 どんな言い方をしようと変わりはない。それ以上を言わせず、恵はさっさと彼女にお帰りいただいた。
 やっと机に鞄を置いて、恵はテキストを取り出す。予習をしようとそれを開いたところで、目の前を本を抱えた眼鏡の女子生徒が右から左に通り過ぎる。
「あ、おはようございます」
 ぺこりとお辞儀をして、彼女はさっさと本棚のひしめく奥に引っ込んでしまった。
 彼女は毎朝一番乗りの、図書委員である。


「これで、三度目だ」
 少々情けない報告を、恵は級友の遊馬ゆうまにする。
 遊馬も恵と同じく、よく女子にもてる男子生徒だ。もて具合では、クラスの中で恵と双璧をなす。しかしその対応は恵とは全く違っていた。誰の告白も受け入れないところは同じだが、遊馬は何につけよく気がつく男で、振った女の子へのその後のフォローも忘れない。お蔭で、大抵の女子は「振られた」のではなく、「友達へと昇格した」という満足な思いで立ち去るのである。
 そんな正反対な二人が仲良くしているのを、意外に思われることはある。しかし二人の対応はともかく価値観は良く似ていたし、何かと孤立しがちな二人は互いを友とするしかなかったともいえる。遊馬は女子にはもてたし女友達も数いるが、その反動でなにかと男子からは反感を持たれているか敬遠されている。一方の恵は男子とは割合仲が良かったが、価値観が違いすぎて深く付き合うのは難しかった。恵はもてる上に運動神経もよく、成績も良かったので、他の男子とレベルを合わせた会話をするのが困難だったのだ。遊馬にも同じような理由を補足せねばなるまい。
 とにかくそんなわけで二人は親友なのである。
「三度目って、その子に現場を見られたのが?」
「そういうことになるな……」
 そういう機会を利用して、こちらと近づきになるのを狙うようなタイプには見えなかったが、用心をするに越したことはない。他の男子に聞かれたら刺されそうな見解だが、恵と遊馬は「もてるのは面倒くさいことだ」という共通認識を持っている。
「名前は?」
「知らない」と恵は答えたが、顔を覚える程度には会っているのだ。一応、知るだけ知っておいてもいいかもな、と恵は思った。


 その日の放課後、貸し出しカウンターに例の女子生徒は座っていなかった。
 そのことにほっとし、恵は奥の司書室に足を向けた。古典の予習に有効な、参考書のアドバイスをもらおうと思ったのだ。
 司書室に入り、後ろ手に戸を閉めながら目を上げた恵はぎょっとした。ストーブに当たりながら、そこの椅子に座っていたのはくだんの女子だったのだ。名は、叶子かなこと言った。今朝会った別の女子がそう呼んでいたのだ。
「あ、司書の先生なら会議中です」鍵を閉めておくのが面倒だと、留守番を頼まれたのだ、と叶子はそう口にして隣の椅子を指差した。「待たれるのなら、どうぞ。この部屋の方があったかいですよ」
「……怒ってないのか?」
 しゅんしゅんと湯気を放つやかんをストーブから下ろす叶子を横目で見つつ、恵はそろそろと腰を下ろす。ちらりと外に視線を寄こすと、強風に枯葉が舞っていた。
「怒ってませんよ」
 言いつつ、叶子はこちらに視線も寄こさない。やかんの湯で、紅茶を淹れているのだ。
 恵は、軽く溜息を吐いた。恵は今朝、一人の女子生徒を振った。いつものように、形式めいた淡々としたものだった。恵だって、初めの頃は相手の言い分を聞こうとしたり、自分が断る理由を説明したりしていたが、そのうち、それが無駄なことだと悟った。それ以来、恵の振り方はいつも同じだ。
 朝の女子生徒は振られてすぐに叶子に泣きついた。どうやら、彼女の友達だったらしいのだ。居たたまれなくなって、恵はテキストすら広げずにすぐにその場を去った。
「恵先輩は……あ、ごめんなさい、友達がそう呼んでたから――えっと、先輩も紅茶でいいですか?」
「ああ……うん、呼び方もそれでいいけど……あんたの名前は?」
 恵は紅茶を受け取りつつ頷いた。他の奴らは無許可に名前を呼んでくるのだ。いまさら、どう呼ばれようと意味はない。礼儀として名を尋ねると、彼女は苑江そのえ叶子かなこと名乗った。
「あんたも、俺を冷たい男だと思ったろうな」
 恵は、自嘲気味に呟いた。誰も彼もが、自分の理想を押し付けるためにやって来る。どんなに言葉を尽くそうと、彼女らは自分の理想しか見ていない。彼女たちは欲しいだけだ。誰もがうらやむが、誰の気持ちも受け入れない、そんな恵が、自分の手に落ちるという最高のステータスが欲しいのだ。だから、恵に拒絶されると手のひらを返す。なんてひどい、冷たい男だろうと。もちろん、そうではない子もいるのだろう。しかし、恵はもう、それを見極めようと努めることにすら疲れてしまった。だから、振る。数をこなすように、淡々と。
「冷たいというより、潔い人だなー、とは思いましたけど」
 思わぬ返しに、恵は叶子の顔を見たが、湯気で曇った眼鏡で、その表情は読めなかった。
「それが恵先輩のやり方なら、それでいいかなあと思いますよ」
「……なぜ」
 さりげなく返したが、恵の心中は身を乗り出しかねない勢いだった。振られた相手は傷つくだろう。しかし彼女らは、返す刀で恵を傷つけていることに気づかない。ひどいと、冷たいと罵る言葉の刃で、恵が傷つかないと思っているのだろうか。そのたびに恵は、自分のやり方は間違っているのだろうかと自問する。それでいいと、あっさり言ってよこす叶子の真意がわからなかった。
「だって先輩は、起こった結果はぜんぶ受け止めてますから。冷たい態度をとったら、冷たい反応を返す人だっているでしょう、でも先輩は、誰の所為にもしないし誰を責めたりもしていませんよ。だから、すごいなあって思ってます」先輩の心の中までは読めませんけどね、と笑いながら叶子は締めくくる。
「そう……か……」
 叶子の言葉を噛み締めて、恵は少し、気が軽くなった。
「あ、じゃあ先輩、あとお願いしますねー」と叶子はさっさと立ち上がる。
 図書の整理に戻るらしい。会議もそろそろ終わる時間だそうだから、そんなに待たされることもないだろう。
 目の前で閉まった戸を見つめながら、もう少し話していたかったのに、と恵は名残惜しく思った。

<了>


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2008 11 21