十年越しのバレンタイン

 しんしんと冷えた冬の夜。
 街灯にぼんやり照らされた玄関先、門の前の段差に座っていると、隣の家の息子が帰ってきた。やつはちらりと私を見ると、ギィッと門を開けて、さっさと家に入ろうとした。
 そのとき、ちらりと雪が降ってきた。「さむっ」と思わず呟き、私はへくしょんとくしゃみを放った。冷え切ったコンクリートの所為で尻が冷たい。
「なにしてんだ。馬鹿かおまえは」
 そんな私を無視しきれなかったらしく、隣の嵩哉たかやくんは悪態をつく。私と嵩哉くんは仲が悪い。むかしは仲が良かったはずなのだが、段々険悪になったのだ。直接的な理由はよくわからないが、嵩哉くんは攻撃的になり、そして私は彼を避けるようになった。
 声をかけられて仕方なく、私はへらりと笑う。
「鍵、持って出るの忘れちゃった」
 今日はお母さんは町内会の温泉旅行で、お父さんは飲み会で、お姉ちゃんはこれ幸いと彼氏の家に泊まりに行ってしまった。週末はいろんな事情が交錯するもんなのである。
 嵩哉くんはもう一度、馬鹿、と呟いて、自分も門先の段差にどかっと腰を下ろす。もちろん私たちの家は隣り合っているので、まるで隣同士の椅子に座っているようだ。
「スーツ、汚れちゃうよ」恐る恐る言ってみると、
「俺んちもまだ誰も帰ってないんだ。おまえを上げるわけにいかないだろうが」
 むすっとした声で返された。なんで怒ってるのかわからず、「はあ」とおざなりの返事をしておいたら、「おまえわかってないだろ」とまた怒られた。
 しばし沈黙があったあと、「ほら、これでも着とけ」と横から、ばさっと何か投げて寄こされた。見ると嵩哉くんのコートで、それは申し訳ない、と思って慌てて断ると、彼の機嫌はさらに悪くなった。
「俺の情けは受けたくないってわけか」
「そんなこと言ってないじゃん、前々から言いたかったんだけど、なんでそんなに喧嘩腰なわけ」
「なんでって、おまえの、るい子の所為だろうが」
 久しぶりに名前を呼ばれて、ちょっとびっくりした。高校以来で、ひー、ふー、みー、えっと、五年振りぐらいか。ちなみに不仲になったのは小学校六年生からだ。
「だいたい、なんでおまえはいまだにそんなに抜けてるんだ。気になるからやめろ」
「別に気にしてくれと頼んだ覚えはありませんが」
「そうだったな。先に嫌ったのはおまえの方だ」
 えっ。と思った。そうだったっけ、いやそんなはずない、だって本当は私は、嵩哉くんが大好きだった。
 ぽかんとして嵩哉くんを見返すと、ますます彼は渋い顔をした。
「その間抜け面もやめろ」
「いや、えっと、私、嫌ってないよ。……それにいまも嫌いじゃないよ」
 こうしてしゃべるの久しぶりだねえ、となぜか気分が高揚してきた私は、にっこり笑ってしまった。次に呆気にとられた顔をしたのは嵩哉くんの方だ。
「嫌いじゃないってなんだよ、おまえに見栄張るために使った俺の十年を返せ」
「え、はあああ?」突然わけのわからない展開になる。
 はあー、と大きく溜息をついた嵩哉くんは、ちらっと私を見て、そして話し出した。
「おまえ、まあむかしの話だけど、優等生の赤城あかぎが好きだっつってただろ。突然俺のこと見向きもしなくなって、腹立ったから赤城には負けるかよと思って」
「それで、あんなにいい大学いっちゃったの……?」彼の考えが読めん。「それにそんなひどい仕打ちした覚えは」
「覚えがないって言うのか? おまえ、急に俺を避けるようになるし、バレンタインのチョコもくれなくなるし」
「う、え、そんなこと覚えてたの」
 そして私は壮絶に当時のことを思い出し、恥ずかしさで息が詰まりそうになった。
「で、当時のあれはなんだったわけ」
「ちょっと、待って、心の準備」そうして私はすーはーと深呼吸を繰り返した。「いま、ちょっと、たかやくんも恥を忍んで打ち明け話をしてくれたんだと思うけど、私の方が壮絶に馬鹿馬鹿しく恐ろしく恥ずかしい話だから。いま話すけど」
 この十年、誰にも胸のうちを話したことはない。当時はひた隠しにしていたが、それももう時効だろう。
「まずひとつ。私は別に赤城くんを好きだったことはない」
「な、なんだそれ」嵩哉くんは真っ赤になって狼狽した。おお、面白い。
「女の子グループって話合わせとかないと乗り遅れるとこあるし。とりあえず、赤城くんが好きってことにしておいただけなのね」
 さあ問題はこの先だ。
「私が本当に好きだったのは、たかやくんなんだよ」
 いまさらながらに雪が降っていることを思い出す。寒い。なんというか、私の心が寒い。そして、嵩哉くんの視線が寒い。彼の顔を見上げると、さっきまでの怒ってるような顔じゃなくて、真剣な顔をしている。急に態度変わるのやめてくれないかなあ。どきどきするから。
「じゃあ、なんで、それがああなるんだよ」
「だから、好きだったからだよ」と私は再びにっこりした。当時の嵩哉くんはモテ期だったんだな。ちょうど、スポーツのできるタイプの男の子が流行ってるころだった。「好きだったから、その他の子と一緒にされたくなかったの。だから、バレンタインのチョコもあげなかった」
 他の子と同じようには嵩哉くんのことを好きだと思われたくなかった。私だけは特別に彼を想っているんだと思いたかった。でもそれを証明する手段など当然なくて、他の子と一緒に扱われるぐらいなら、「嵩哉くんを好きな女の子」であることを知られない方がよかった。
 まあそれで当の本人に嫌われたんだから、相当裏目に出たことになる。馬鹿だなあ、私。
「……じゃあ、チョコは、赤城には」
「当然、あげてないよ。うわ、よく考えたらそれ以来誰にもあげてないや、私。寂しいやつだなあ」
 後半は思わず独り言。それを耳に拾った嵩哉くんは突然立ち上がって、私のすぐ前に立った。
「じゃあ、今年は俺によこせ」
 その真剣な眼にどきどきしたので、思わず私はこっくり頷いてしまっていた。

<了>


novel

2008 02 03