見果てぬ旅路

 ここは砂漠の入り口だ。
 見渡す限りの黄砂に、砂の嵐が吹き荒れる。
 この町でも、平たい石畳の上は砂塵が視界を覆っていた。その向こうから、なにやら黒い影がひょっくりひょっくりこちらへ向かってくる。
 だんだんとその輪郭がはっきりしてきた。目を細め、人を乗せた陸鳥が一騎、ということを確認する。
「親方ー、お客さんみたいだ」
 俺はテントの奥に向かって声をかけた。
 町と砂漠の境目にあるこの店に勤める者の仕事は、砂漠の案内人だ。なにしろ四方八方砂ばかり、おまけに常の砂嵐で方向感覚もままならぬとあって、慣れぬ者にとって砂漠越えが容易ではないことは猫にでもわかる。
 砂漠を越えたところにある小国は、それなりに有名な貿易国で、あっちこっちから商人が集まる。彼らの目的は主に、商品というよりは情報だ。あっちの国では穀物が不足してるとか、こっちの国では青の反物が流行りだとか。
 まあそんな商人がいるおかげで、俺達の懐が潤っている。
 石畳を砂で軽く軋ませながらこっちへやってきた陸鳥は、静かに足を止めた。
 フードを取り払った騎乗の人物を見上げて、俺は瞠目する。
 それは、十になるやならずやの子どもだったのだ。しかも女の子。
 青みがかった緑の髪をさらりとゆらし、微笑んだ彼女は第一声を放った。
「儲かりまっか?」
「……は?」
「なんや兄ちゃん、商人言葉やないか、まさか聞いたことないっちゅうんやないやろな? おかげさんで、儲けさせてもろてますー、ぐらい言わんかいな」
 容赦なく少女はまくし立てた。俺は頭が痛くなった。
 いいえ知っています。毎日のように聞いてます。ただ、あんたとのギャップがすごすぎるんです。
 卒倒しなかっただけ、我ながら偉いと思う。可憐な少女の口から突然そんな言葉が飛び出したら、相当心臓に悪い。
 凶悪な事実からは目をそらして、俺は話しかけた。
「お嬢さん、ここは砂漠越えの案内を請け負っているところなんです。小さい子がひとりで来るところじゃないんですよ」
 かっちーん。
 目に見えて少女の雰囲気が刺々しくなった。どうやら俺は地雷を踏んでしまったらしい。
「うち、小さい子やないで。もう十一になったんやからな。それより、今日はおとんの代理やねんわ」
 瞬間怒りに我を忘れたように見えたが、曲がりなりにも商人らしく、実際的なことに対する切り替えは驚くほど早い。
「お父様、というと?」
「よう来るやろ、ここに。ツバメっちゅうんやけど」
「……ああ、あの」
 鋭利な名とは裏腹に、腹の突き出た背の低いおっさんか。
 あれからこんな愛らしい娘が生まれるとは。遺伝子の神秘。
「なんやその、妙な間ぁは」
 ふむふむ胸中で頷いていると、すかさず突込みが入れられる。
 前言撤回。血は争えない。
「しかしいくらお使いといえど、一人でいらっしゃるのはちょっと、感心しませんね」
「お使いやないって。そのうち独り立ちすんねんから、これ、修行やねんわ」
 偉いですねえ、とは言えなかった。そう言うにはあまりにも幼すぎる。商人恐るべし。
「はあ、ではツバメさん担当の者を呼びましょうか。勝手もわかっているでしょうし」
 お父さんのこと良く知っている人の方が安心できるだろう、という仏心だったのだが。少女はやはり、商人の娘だった。
「いや、ちゃう人の方がええんやわ。おとんとはちゃう人脈持たなアカンからなあ」
「じゃあ、おまえが行けば」
 最悪のタイミングで第三者が口を挟む。親方がいることを忘れていた。
「そやな。おっさん連中はおとんが牛耳っとるんやし、うちの年齢考えたら若衆の組織網持っとかな」
 わかしゅ、って。どこで覚えたんですかそんな言葉。お嬢さんと比べたら若い人なんていませんよ。それ以前に、牛耳られてもいませんが。
「おし、じゃあ行って来い」
 俺の承諾も得ずに親方はひらひらと手を振る。はいはい、面倒くさいんですね。
 しかし逆らえるわけはない。筋骨隆々とした髭面のおっさん。強い。が、それ以前に怖いのだ。
「……行ってきます」
 理不尽なり。心中で悪態をつきつつ俺はマントを羽織った。腕をむき出しにしていると、この暑さで焼けてしまう。
「じゃあ、行きましょうか」
 道中必要な水やコンパスなどが入った簡易な包みを載せた陸騎りくきを引き出すと、俺はお嬢さんに声をかけて出発した。
「ご挨拶が遅れました。俺はシギといいます」言いつつ軽く頭を下げる。
「うちはイスカっちゅうねん。この陸騎はトロピカーナ」
「とろ」
 なんだそのどことなく美味そうな名前は。
「可愛ええやろ、南国鳥との掛け合わせやねんでえ」
 ころころとお嬢さんは笑った。こうして見ると、年相応の女の子だ。きっとお気に入りのぬいぐるみを持ち歩くがごとく、この陸鳥を連れ歩いて寂しさを埋めているのだろう。俺は少ししんみりした。
「珍しい色ですもんね。向こうに着いたら注目されますよ、きっと」
 お嬢さんの陸鳥は、白い嘴の先がほんのり紅がかっている。普通の陸鳥の嘴は黄土色っぽいので、確かに珍しかった。
「そやろ!」お嬢さんはきらきらと目を輝かせた。「よっしゃ、これだけインパクトあったら、うちのこと覚えさすのも早なるな。欲しがる人もいてるやろし?」
 お嬢さんの動機は商人魂。こっちにまで飛び火して、俺はもう燃え尽きそうです。
「売っちゃうんですか、その子」恐る恐る尋ねると、
「トロピカーナを売るわけないやろ!」お嬢さんは憤慨した。「売るんはこの子の兄弟やて」
 売るには変わりないんですね。
 しかしお嬢さんは、ふうとため息をつく。「やっぱりちょっと惜しいんやけどなあ」
 俺は、他の子も可愛がっているんですね、と言いかけた。が、口を開いたところで終わった。
「稀少価値高いからな、ちょっと勿体ないわな。南国鳥は劣性遺伝やねん。そもそもサイズがちごてるから、掛け合せの掛け合わせやし、特徴が出ても一代限りで終わってまうんやわ」
 俺はおざなりな返事をしつつ、こっそりため息をついた。どこまでもお嬢さんらしいといえばお嬢さんらしい。
「なあ、兄ちゃんは案内人になってどんぐらい経つんや?」
 唐突にお嬢さんはそんなことを言った。
「そうですね、えーと、五年ほどでしょうか」十四の歳からだから、まあそんなもんか。
「そっか。ええな、向いとったんやろな」そう言って、お嬢さんはその小さな顔を伏せる。「うちはな、商人の娘に生まれたから、商人になるってことは決まっとるんやわ。でもな、おとんとか他所の商人見てるとな、うちにできるんかわからんようなってくるんやわ」
 いまだけは、お嬢さんは小さな女の子だった。いつもはお父さんにくっ付いていたのが、一人で放り出されて、急に心細くなったのだろう。やたら強気にしゃべっていたのは、虚勢を張っていただけだ。
「あのね、お嬢さん。俺なんかと比べると、あんたはよっぽど商人に向いてるよ。俺はね、向いてたんじゃなくて、慣れただけだ。なにしろいまだにコンパスがないと道に迷うし、流砂に陸鳥を流しちまったこともあるし」
「……兄ちゃんに頼んで大丈夫やったんかいな」
「いまさらだろうが。ま、心配すんな」
 俺は陸騎の上から軽く身を乗り出して、お嬢さんの髪を撫でてやった。あー、そう言えば、すぐに敬語を忘れるのも悪い癖だったか。心中でも頑張って敬語変換してたんだけどな。
 しかしお嬢さんは気を悪くするでもなく、からからと笑い出した。
「わー、兄ちゃん、そんな人やったんか。うちはまた、その地味ーな顔立ちから、真面目くんかと」
「放っとけ」
 心なしか、地味、に力がこもっていたような気がする。純朴なお客さん相手だと、本性もばれずに上手く信頼関係を保てるのだが、まあそれは奇跡的な確率。なぜなら大抵の客は商人だから。
「ま、俺だってまだまだ先が見えてないのに、その年で見えるわきゃねえだろう」
 柄にもなく話を蒸し返してしまい、俺はちょっと居たたまれない気持ちになったが、お嬢さんは気づかない振りをしてくれた。
「なー、兄ちゃん、どうせ帰りも案内してくれんのやろ? そんならな、その間もちょっと付き合うてや」
 なんでもない振りをして言うが、その実、不安なのだろう。なぜか俺はあっちこっちで子供に懐かれているような気がする。
「あー、まあ、いいけど、別料金な」
「うわ、勉強してんか」
 途端に値切り交渉。やっぱりあんたは商人に向いてるよ。
 そう思って、俺は笑いを噛み殺した。

<了>


novel

2007 01 28(初出2006 04 14)