完全な一目惚れだ。

きっかけはティータイム

 ――そうして、結局。
 小鹿のような瞳が戸惑いに曇るのと、震える睫毛に見とれていたらあっさりとカレンは逃げてしまった。
 逃したものに触れた指先を見つめて、じっとグリフォードは立ち尽くす。
「グ、グリフォード様っ。どうなさいました? お怪我は?」
「大事ない」
 突然響いた声は司書官のルゥエだ。本棚の倒れた音が気にかかり、様子を見に来たのだろう。
 無愛想にひとこと答え、グリフォードはゆっくりと歩き出した。
 カレンと初めて会った日のことを思い返しながら。


 その日、グリフォードは仕官学校時代の友人二人と会っていた。そのうちの一人、レオナルドの家に招かれ、お茶をご馳走になっていたのだ。
「グリフ、俺の分も食うか」
「いただく」
 含み笑いをしながらヒースケイドがこちらに寄こしたケーキの皿を、グリフォードはしっかと受け取った。彼は、グリフォードが甘党であることを知っている数少ない友人だ。
 腕組みをしたヒースケイドはドアを振り返り、軽く息を吐いた。
「レオの戻りが遅いな」友人を待たせておきながら、とヒースケイドは毒を吐く。
「どこかその辺でもほっつき歩いているのではないか」
 グリフォードは立ち上がり、窓際の壁にもたれて庭を見下ろした。
 タイミングを見計らったかのように、レオナルドの赤っぽい茶髪頭が眼下の木々の隙間に見て取れた。
 彼は誰かと話をしているようだ。
「女と話していて遅いのか」
 そうグリフォードが呟いたとき、歩いていた二人の姿が木々の下から顕わになった。
 レオナルドと話しているのは、まだあどけない表情の残る少女だ。そのくっきりとした色の赤毛は、くるくると渦巻いて肩に垂れ下がっている。白い肌といい、柔らかな微笑といい、いっそ儚げなほど小柄で細身の体格といい、困ったことにグリフォードの好みど真ん中である。
 言葉をなくし、呆然と少女に見惚れていたら、いつの間にかいなくなっていたレオナルドが、眼前のドアから姿を現した。
「待たせたな」
――レオ」
 グリフォードは思わず駆け寄って、レオナルドの肩をがしりとつかみ揺さぶった。いつになく熱い態度に、レオナルドは呆気に取られ妙な声を出す。
「な、なんだ」
「さっきの、あの愛らしい少女は誰だ」
 目を丸くしたあと一拍遅れ、レオナルドは答えを告げた。
 ――俺の妹だよ。と。


 あれはやめておけ、と真剣に訴えたレオナルドの言葉は、グリフォードの耳には届かなかった。
 人見知りなだけでその実我侭だとか、好奇心旺盛なくせに引っ込み思案で苛々させられるとか、切なる訴えはグリフォードの耳を右から左へ通り過ぎた。
 そうしてひと月も経ったころ。
 いかな天の采配か、夢にまで見た少女が自分の事務官として目の前に立っていた。思わずまじまじと見つめてしまったとしても、無理はない。
 レオナルドのいかなる策略か、それとも彼もあずかり知らぬことなのか、少女を目の前から取り上げられるのが嫌で、いまだにグリフォードは彼に事の真相を訊けずにいる。


novel

2007 07 15