ハッピー・バースデイ

「お誕生日、おめでとうございます!」
 その日の朝、カレンはグリフォードより少し早起きして、起き出してきた彼を出迎えた。
「ああ……そうか、もうそんな日か」
 当のグリフォードは自分の誕生日を忘れていたらしく、思い出したように呟いてカレンに頷いた。今日で、彼は二十八になる。
「今日は、だから、ケーキでもお作りしますね!」
 うきうきとカレンはグリフォードに笑いかけた。せっかく早起きした時間を使って、とも思ったのだが、朝っぱらからケーキもあるまい。どうせなら、訓練中に出来立てを差し入れに行こう、と思った次第である。
「ああ、ありがとう」
 グリフォードも、そんなカレンに微笑み返した。
「ところで、その、プレゼントなんですけど」なにを差し上げたらいいですか、とカレンは直球に尋ねた。
 予想通り、祝いの言葉とケーキだけで充分だと言い返されてしまったが、それで引き下がるわけにもいかない。甘い物好きのグリフォードは、普段からその類のものを食べているし、カレンもよく焼き菓子などを振舞っている。いつもと同じ、というのも芸がないだろう。
 食い下がったカレンに、根負けしたグリフォードはぽつりと呟いた。
「そうだな、君の……我侭が聞きたい」
「わがまま、ですか?」
 そうだとグリフォードは頷いた。カレンはおとなしく聞き分けの良い娘で、我侭らしい我侭を言ったことがない。そこが、グリフォードには少し寂しかったのだ。
 カレンは少し俯いたあと、思い直したかのように顔を上げて言い放った。
「それじゃあ、甘えてもいいですか?」
「え?」
 次に聞き返したのは、グリフォードの方だった。


 出来上がったフルーツタルトをバスケットに詰め、カレンは差し入れの準備を整えた。
 グリフォードに会って何を言おうか、と考える。朝方は勢いに乗って言ってしまったが、改めて考えると少し恥ずかしい。
 確かにカレンは、熱が出たときと嵐のときを除いては、グリフォードに対して我侭を言ったり甘えたりしたことはない。しかしカレンは、もともと人見知りなだけでひどく甘えたがりの娘なのである。
 初めはなかなか打ち解けられなくて、グリフォードに対して言いたいこともあまり言えなかったカレンであるが、嵐の夜以降は次第に強い信頼を寄せている。実は近頃ではすっかり心を許してしまったため、生来の甘えたがりの部分が表に出ようとしているのであった。
 城に赴き、カレンは休憩時間を見計らって練兵場に顔を出した。グリフォードの長身の後姿を目にして、カレンはいそいそと駆け寄った。
「グリフ様!」
 カレンは手に持ったバスケットを傾けすぎないよう留意しつつ、グリフォードの背中に抱きついた。
 カレンはグリフォードの背中が好きなのである。まだ打ち解けきれないころ、彼の背中をよく見ていた。彼がこちらを見ると気恥ずかしかったが、こちらからは彼が見たかった。それでいて遠すぎない距離、それが心地好くて背中を見ていた。すっかり気を許したこの頃では、いつか抱きついてやろうと機会を窺っていたのである。
「カ、カレン」
 動揺しつつ、グリフォードは振り返る。残念、と思いながら、カレンは身を離した。
「お疲れ様です、差し入れです」と笑顔でカレンはバスケットを掲げる。
「あ、ああ、ありがとう」
 かなり気分の高揚した様子のカレンに、グリフォードは戸惑いを隠せない。じゃあちょっと屋根のあるところで休憩しましょう、とカレンはグリフの腕を引く。
「腕、組んでもいいですか?」
 歩き出したところで、カレンはえいやとグリフの腕に抱きついた。歩きにくかろうとグリフはカレンのバスケットを預かる。
「今日はご機嫌だな」
「最近、ちょっと甘えたい気分だったんです」えへへとカレンは照れ笑いを見せる。「腕組むのと手を繋ぐのと、どっちにしてもらおうかなって朝悩んだんですけど、手を繋ぐのって身長差あるとどうかなあって思ったんです。どう思われます?」
 そうだな、と答えるグリフォードの声が震えていた。足を止め、そのまま背を軽く曲げると、ふっと息を洩らし、次の瞬間、クックックッと笑い声がその咽喉から響いた。
「そんなにおかしいですか?」少しむっとしてカレンが尋ねると、
「いや、楽しい」とグリフォードは目尻を拭いながら答えた。
「ご機嫌ですね」とカレンは再びにっこりする。
 そうして、ちょいちょいとグリフォードを手招きすると彼は心得てカレンに耳を寄せる。
「グリフ様、隊の人たちに見られてますよ」
 おっといけない、とグリフォードは口元を押さえたが、堪えきれずに再び肩を震わせて笑い出した。
 隊員からは天変地異が起きたかのようにみられているだろう。


 この日、グリフォードは訓練を早めに切り上げて、カレンと買い物に出かけた。拒むと恨まれそうだからな、と言いつつ隊長は快く許可を出した。そうしてもぎとった午後の休暇で、買いに行ったものがウィーダリオンへの贈り物、というところが彼ららしい。
 最後は行きつけの喫茶店に寄って、夕の時間を楽しんだ。
「今日は楽しかったですね」とカレンが言い、
 そうだな、とグリフォードが頷いた。
 お互いに、この日はいつもより距離が近かったような気がしている。
「甘えるのは今日だけにして、明日からはまたしっかり頑張りますね」
「なぜだ?」
 カレンの言葉を聞いて、明日以降も今日のような関係でいられると思っていたグリフォードは不意を衝かれる。打ち解けてくれたと思っていたのに、それは誤解だったのだろうか。
「だって私、甘やかされるとどんどん甘えちゃうんです。兄さんみたいにすんなり甘えさせてくれない人なら加減ができますけど、グリフ様、きっとそうじゃないでしょう? 私、もっと自分でしっかりしたいですし」
 そう言われると返答に窮してしまう。なにしろグリフォードは、カレンを甘やかしたくて堪らないのだ。
 困ってしまって、グリフォードは微苦笑した。
「それより私、もっとグリフ様の笑った顔が見たいです。今日はたくさん笑ってくれて嬉しかった」
 対する顔が笑顔なら、気後れを感じることはない。カレンがたくさん甘えることが出来たのも、その所為もあったのだ。
 ふむ、とグリフォードは頬に手をついて少し考え込んだ。
「そうだな、考えてみよう。君がもう少し甘えてくれるならな」
 言いましたね、とカレンは軽くグリフォードを睨んだ。とは言え、グリフォードもカレンを甘やかして駄目にしてしまうことは望まないだろう。
「そうですね、善処します」
 カレンは明言を避け、微笑むと紅茶をひと口啜った。

<了>


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2009 02 16