背中合わせの距離

-----A面

 春になり、カレンはグリフォードの妻になった。
 もちろんグリフォードの邸で一緒に暮らすことになったのだが、初日からカレンは絶句した。
 寝室にあったベッドは、どかんと大きなものが一つきりだったのだ。
「グリフ様……」
「ん、どうした」
 そう呼ばれてグリフォードは満足そうに答える。いままでグリフォードとしか呼ばなかったカレンだが、妻となっては頑なにこだわる理由もないので、愛称で呼ぶことに決めたのである。
 聞けば、このベッドは前々からグリフォードが愛用している品だそうだ。彼の体格ではシングルのベッドは窮屈すぎる。かといってダブルベッドというのも、というわけで特注で規格外のベッドを作ったらしい。実際そのサイズはといえば、カレンと二人でも余裕である。
 カレンの無言の訴えをグリフォードは解したようだが、
「私は構わないが……新婚からして寝室を別にすれば妙な噂が立つだけだと思うぞ」
 その返答に、うっ、とカレンは詰まった。
「ベッドをもう一つ置くとか……」
「入ると思うか?」
「……」
 カレンの悪あがきもあっさり一蹴される。確かに、どう考えても、このベッドを二人で使うのが一番合理的な方法なのだ。
 カレンは特大の溜息をついて、渋々その提案を受け入れた。


 しかしカレンの危惧は、まったく現実のものとはならなかった。
 二人で使っているという実感がなかったのだ。
 なぜならば、グリフォードはカレンよりも宵っ張りで、カレンよりも朝が早かった。早い話が、カレンは眠りに入るときも目覚めるときも一人きりだったのである。
 ――ほっとしたような残念なような。
 カレンにとってはもてあましすぎるほどに広いベッドを、一人で使っているようで心もとない。広いところにがらんと取り残されたようで寂しい気持ちすらする。
 無用な我侭を言うわけにはいかなかったが、寝るときも起きるときもカレンを起こさないようにしているグリフォードの気遣いが、なぜだか少し切なかった。
 ある日、カレンは夜中にふと目を覚ました。
 暗闇に慣れた目でそろそろと振り向いてみれば、背中を見せたグリフォードが眠っていた。寝息に合わせて、ゆっくりと肩が上下する。
 寝顔が見れないのは少し残念だったが、確かにこの距離がカレンの最も安心する距離だった。カレンは闇の中でゆっくりと息を吐きながら、心の中が満たされてゆくのを感じていた。
 グリフォードが、カレンを一番大事にしてくれているのが、嬉しくてたまらない。
 もぞもぞとカレンはシーツの上で身動きして、自分の背中をグリフォードのそれとぴたりとくっつけた。
 背中から伝わる熱が心地好くて、いつしかカレンはまた眠りに落ちていた。


-----B面

 窓の外はとっぷりと日が落ちている。
 ランプの灯を傍らに、グリフォードは黙々と書き物をしていた。
「……グリフ様?」
 ノックの合図もなしに、グリフォードの書斎のドアがキィと開かれる。と同時に、寝巻き姿のカレンが滑り込んできた。
 グリフォードは一瞬、声を荒げそうになった。使用人もいるというのに、そんな格好で廊下をうろうろしていたのか、とたしなめる気持ちになったのだ。しかしぐっと思いとどまる。耳に痛い小言を言ってカレンに嫌われたくはなかったし、なによりカレンは分別も持たない娘ではない。なにか理由があるのだろうと、グリフォードは静かに手招いた。
「あの、グリフ様、もうそろそろお休みになられませんか?」
「うん?」
 どうも、カレンは早く寝ろと言っているらしい。溜息をつきそうになった。思わず、彼女はグリフォードの理性を試しているのかと疑いたくなる。なんのために、グリフォードがわざわざ就寝の時間をずらしていると思っているのだろうか。
「今日は、夜中に嵐がくるらしいんです」
「……はあ」
 なにが言いたいのかよくわからない。きゅっと顔を上げたカレンの瞳は、懇願の色を帯びていた。
「だから、一人で寝ている間に雷が来たら怖いので……一緒に寝てくれませんか」
 どういう意味だそれはいや一緒に寝ているというのなら普段も一緒に寝ているのだ取り乱す理由などなにもない――
 グリフォードの思考回路が混線しかけたのも無理はないが、そこはえいやと立て直してできるだけ平静な素振りで彼は返答を返した。
「構わないが」


 ベッドに潜り込むと、途端にカレンはグリフォードにぎゅっとしがみついてきた。
 その不意打ちにグリフォードの心拍数が上がり、耳鳴りがしそうになった。
 もしやレオナルドは、雷のたびにこんないい思いをしていたのかと思うと、軽い殺意が沸きそうになる。しかし、固く目を瞑って震えているカレンを見ると、妙な気持ちも沸きようがなかった。
 そこでふと、グリフォードが覚えたのは奇妙な安心感だ。
 カレンはグリフォードを頼りにしている、そして自分は彼女の憂いを取り除いてやれる、という。
 少し距離が縮まったような気持ちを覚え、腕の中の娘を見やると、あれほど怯えていたというに雷がやってくる前にカレンは既に寝息を立てていた。
 嵐と雷の荒れ狂う夜、グリフォードが一睡もできなかったというのは――特筆すべきことでもないだろう。

<了>


novel

2007 10 31