星にまつわる現実と空想の話

「ぎゃーっ、嘘でしょー!?」
 咲子さきこは大声を上げてドアを左右に揺さぶった。しかしそれはうんともすんとも応えない。
 暴れた所為で埃が舞い、けほんと咲子は咳き込んだ。
 この教室は普段は開かずの間と化している。現在は文化祭時期のため、一時的に物置として開放されているのだ。
 蛍光灯も外されてしまっているため、明かりもない。窓の外は頼りないほど暗くなっていた。
「うるせえな、寝らんねえじゃねーか……」
 突然割り込んだ欠伸交じりの声に、咲子は高速で振り返った。
「なんでこんなとこで寝てんのよ!」
「だって人来ないんだもん」
 しれっとその男子生徒――星野ほしのは答えた。
 それなりに人が訪れるとはいえ、長居するものはほとんどいない。明かりがないからだ。よって安眠を貪っていたと星野は言うのである。
「馬鹿! やだもうどうしよ、うちのクラスだって私が最後だったのにいぃ」
「話が見えない」
 まだぼんやりした風の星野を、咲子はぎっと睨み付けた。
「だから! ドアが開かないのよ! そんで、もうおそいからみんな帰っちゃったの! わかった?」
 畜生、廊下のベニヤ板の野郎だああ、と咲子は毒づいた。壁際に立てかけてあったそれが倒れ、ドアを巧い具合に塞いでしまったとみえる。ちなみに、廊下側の窓はガラクタが積み上げられている所為で手を出すことができない。
 咲子と星野は、この教室に閉じ込められてしまったのだ。
 溜息をひとつ吐くと、咲子は早々に諦めて星野の隣に腰を下ろした。時間はかかるが、たぶん見回りの警備員か教員に見つけてもらえるだろう。
 窓の外には月が出ていた。暗い中にじっと座っていると、意外と月明かりが明るいことに気づく。
「星が出てるね」咲子はぽつんと呟いた。
「小せぇ頃さ、流れ星採ろうとか思わなかった?」
 星野の言葉に、突然なにを、と咲子は吹き出した。
「はあー、純粋だったんだね、星野は」
「夢がねえなあ、小沢おざわは」
「ロマンチスト」
「リアリスト」
 そうだもん、と言って咲子は少し拗ねた。だっていつまでも夢は見られないし、子供だってちゃんと、なにが不可能かを理解することはできるのだ。
「でもさ、やっぱり人は<星>に夢を託してると思うな」
 子供を諭すような口調に咲子の心はますます捻くれそうになる。
 夢見たからってなんだというのだ。偉いわけでもなんでもない。
「ナントカの星、とか、スターっていうときにさ、人はでこぼこのクレーターのあるでっかい石だとかガスの塊だとかっていう<現実>を思い浮かべているわけじゃない。なんか小さくて遠くて強い光をキラキラ放っているものだ。それって、ただの<空想>の産物だろう?」
 ぽかんと開いた咲子の口から、さっきの毒気がしゅるんと抜けていくようだった。
 咲子は、そんな角度で星を捉えたことなどはない。
 なんだか不思議な気分になった。
「そう、だねえ」
「だからさ」と星野の口角がきゅっと上がる。「みんな、空想を信じてるってことになんねえ?」
「なにそれ、ファンタジー」
 苦笑した咲子に、さて、と呟いて星野は立ち上がった。月明かり差し込む窓に近づき、カチンと留め金を外す。開け放った窓から、夜の寒気がさわりと侵入した。
「じゃ、ファンタジーついでに」
 星野は咲子の手を取って立ち上がらせる。さらりとした掌の感触に、咲子はどきりとする。
「行くぞ」
 星野は窓枠に足をかける。
「なに、やだ、やめてよ」
 吹けば飛ぶような飄々さとは裏腹に、星野の白い手は大きくて力強かった。抵抗した咲子の身体はあっさりと引っ張られ、星野と共に夜空にダイブした。
――っ!」
 流れ落ちるような落下に、咲子は声すら出せず固く目を瞑った。
 ふと、落ちる感覚が楽になる。――ああやだな、死んじゃったのかな、と思った咲子はゆるゆると目を開けた。
 二人は、夜の中に浮かんでいた。
 地面に近づくにつれ速度が緩まり、手をつないだ二人はメアリー・ポピンズのようにふわりと地面に足をつけた。
「……なにこれ」
「だから、ファンタジー」
 まだ恐怖が抜けきらず、星野の手を握り締めて離さない咲子の呟きに、星野はあっさりと答える。
「なんかおれ、高いとこから落ちても大丈夫な体質らしいんだよね」
「体質じゃないでしょ、体質じゃっ!」
 ま、だから、と星野は咲子を見る。
「これぐらいの不思議、信じてみてもいいんじゃないの?」
 にっこり笑いかける星野と掌の温度に、咲子の思考はストップした。

<了>


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2007 01 28