屋根からほうき星

 目を上げれば満天の星空。
 私は星を眺めるのが好きだ。さすがに毎晩とはいかないけど、時間のあるときはできるだけ眺めることにしている。
 優雅な趣味だ。まあ、背景に気づかない振りをすれば。なにしろ、寝っ転がった私の下にあるのは青い瓦屋根であり、そこにはばっちり無粋な梯子がかかっている。唯一寒空の下に似合うのは、はためいた私の白いコートの裾だけだ。
 ご近所の風物詩と成り果てた私。
 夜にも静かなこの季節にだけ、私は屋根に登る。
「ちょっとお姉さん」
 誰かの呼びかけに静寂が破られる。上半身を起こして下を見ると、家の塀の外に白い息を吐いた男性がいた。オネエサンと言いつつ、どう見ても相手の方が年上なのだが。
「はい受け取って」と彼は腕をぐるぐる回し、なにかを放り投げる。
 慌てて受け止めると、熱々の缶コーヒーだった。くれるということらしい。
「お馬鹿っ! 当たって屋根が傷んだらどうしてくれんのよ!」
 私が怒鳴り返すと、男性は面食らった顔をする。素直にお礼の言葉がもらえると思ったら大間違いだ。しばらくして、気を取り直したらしい男性は笑みを見せた。
「最近良く見かけるね、えーと、カドクラさん?」
角倉すみくら
 機嫌悪げに私は訂正する。こいつ、表札を見たな。
「こっち、降りてこない?」
 なんだこいつ。
「嫌よ。なんで私が、見ず知らずの男のためにそんな労力を使わなきゃなんないわけ」
 めいっぱい迷惑そうに言ってやると、男性はきょとんとして、それから本格的に笑い声を上げた。
「いいねぇ。うん、僕、君が気に入った」彼の瞳が悪戯っぽくきらりと光る。「僕とデートしない?」
「はあ? ……いや、お断り」
 残念、とちっとも名残惜しくなさそうに彼は言う。
「でも次どこかで会ったなら、運命と諦めて食事ぐらいつきあってもらうよ。僕はカツミ。覚えといて」じゃあね、と手を振って、男性はすたすたと言ってしまった。
 変なやつ。


 今日はきっかり五時に退社だ。窮屈な制服を脱ぎ捨て、私はビルのエントランスを抜ける。
 そしてそこに、奴はいた。
「待ってたよつきちゃん。ご飯、行こ」
 私の名前は角倉すみくら月花げっかだ。通称つき。なんでこいつがそんなことを知っているんだ。呼んでいるんだ。そして、
「……なんでここがわかったのよっ!」
 あんたね、と私は噛み付きそうな勢いになる。やれやれと奴は首を振る。茶色い前髪がさらりと揺れた。しまったこいつ、明るいところでちゃんと見ると、結構私好みの顔をしている。
「ちゃんと名乗ったじゃないか。覚えておいてよ。デートの約束までしたのに」
 してないしてない。
「カツミさん」
 鳥頭でない証拠に呼んでみると、奴ははにかんだ。ちょっと可愛いと思う。
 それから状況に流されるままにご飯を食べに行ってしまった。もちろん奴の奢りだ。そして私はなんとなく気になっていたことを訊いてみる。
「……あんたほんとにカツミさん?」
「そうだけど」奴はちょっとびっくりした顔をする。
「そんなこと言われたのは初めてだな。こないだと違うように見える?」
「なんっか、笑い方が違う」
 ふふ、と奴は微笑んだ。さっと名刺を取り出して、
「僕は華積かつみ菊一きくいち。覚えておいてね」


「で、あんたが華積かつみ菊二きくじってわけ?」
「あれ、なんでわかるの?」
 奴は目を丸くした。間違いなくこっちが缶コーヒーの野郎だ。
「だって双子なんでしょう。あっちが菊一さんならこっちは菊二さんじゃない」
「お見事」奴はにやりと笑う。
「で、今日はなにを奢ってくれるの、
「ずうずうしいねぇ、つきちゃんは。で、なにその二の字って」
 私はふっふっふと我ながら怪しい笑みをこぼす。
「だってねえ、菊一さん、菊二さんって呼びにくいのよ。あんたたちは、いち、二の字で充分よ」
 ひどいね、と言いつつも二の字はどこか嬉しそうだ。それに懐だって痛むほどではない。
 一の字に聞いたところによると、こいつらは旧華族だか士族だか財閥だかで、つまり金持ちなのだ。細かく覚えていないのは、たんに私の興味の対象にないからに過ぎない。
 まあ金を持っているということはいろいろなツールを持っているということで。私のことは、名前と住所までわかっていれば簡単に調べられる、と悪びれず一の字は言いやがった。まあ人のプライベートを無闇に詮索する趣味はないらしく、勤め先の情報だけを入手するようにしたところは褒めてあげてもいい。知りたいことは直接つきちゃんから聞きたいし。という要らぬ一言でその気持ちも崩れかけたが。
「つきちゃんって食いつき悪いよねぇ」二の字が呟いた。
「なに」私の目つきは鋭くなる。なにやら失礼なことを言われているらしい。
「だってさあ、僕たち、顔よし頭よしのお金持ちだよ? 結婚したいとか思わない?」
 自分で言うな、自分で。
「思わないけど。っていうかやだもん。面倒な付き合いは増えるし、悪目立ちするし、金銭感覚は狂うし、変な妬み嫉みは受けるに決まってるし。金持ちと結婚してどんなメリットが?」
「……言うねぇ、つきちゃん」ますます気に入った。と二の字はにんまりする。
「つきちゃん、僕と結婚しよう」
 せめて、してくださいと言えないのか、二の字。

****************

 今日のお相手は一の字だ。
 少し遅れてしまった私は、可愛らしくぱたぱた走っていった。
「ごめん、一の字。待った?」
「ううん、ちっとも。ああ、いいなあこの会話、デートって感じ」
 ……言ってろ。
「つきちゃん、香水変えた?」
「あ、わかる? うふふ」
 細かいことに気がつく男はポイントが高い。
 今日はイタリアン。席につくと、おもむろに一の字は話し出した。
「菊二に言われたんだって?」
「耳が早いねえ。で、なんなの、あんたら」
 そのプロポーズを正気にとって、乙女らしくときめいてやる気はこっちにはない。
「冷たいね、つきちゃん。真面目に考えようって思わないかな」
「思わない、っていうか思えないわよ。だって私、まだ二十一よ?」
「僕たちはもう二十四だ」
 私は一瞬、言葉を詰まらせた。
「もうって、まだじゃん、全然じゃん。なんで結婚とか言っちゃってんの」
「だってもう適齢期だよ。政略結婚とかあるんだよ、こっちには。勝手に変な相手あてがわれるよりは、自分で選びたいよ。まあそのための最低条件は、僕たちの見分けがつくってことなんだけど」
「それはわかんないでもないけどね。それで私に白羽の矢が立ったってわけ」
 そうなんだ、と言って、一の字は輝くような笑みを見せた。
「だって僕たちを初対面であっさり見分けた人なんて、つきちゃんが初めてなんだよ。しかも、双子だっていう予備知識もいっさいなしで」
 一の字は、頬杖をついていた私の手を顎の下から奪い取って、ぎゅっと握り締めた。
「つきちゃん、結婚してくれないか」
 ……でやがったよ。

****************

 そして私は華積兄弟からいろいろな話を聞いた。
 彼らは親から紹介された相手には、すべからくすべしとばかりこの方法を試したらしい。そう、交代でデートに赴いたのである。結果は全て惨敗、つまり誰も気づかなかった。あとからは気づかない相手を笑って楽しむ余裕もできたが、始めのうちは落ち込んだらしい。そりゃそうよね。それは、どっちでもいいって言われてるのと同意だ。
 幻滅した彼らは、自分で相手を探すことにした。で、なんで私なのかは理解に苦しむけど。いきなり二人の(自称)婚約者ができたこっちの身にもなってもらいたい。向こうは二人共と付き合ってみて、気に入った方を選べばいいと言ったんだけれど。それでいいのか、あんたたち。もっと自分を大切にしろよ。
 それでも私が断るという選択肢を用意しないあたり、さすがというか、天晴れな自惚れっぷり、といったところだ。ふるときは盛大にふってやる。
 そもそもの始まり、私を見初めた――というのも変かもしれないが――のは二の字だ。彼は時折、夜道を歩くという趣味を嗜んでおり、その日はちょうど、うちの近所を歩いていた。そこで夜の時間をひっそりと、ではなく堂々と満喫している私を見つけたのだ。ちょっと興味を持って(まあ変な女だから)しばらく毎日のようにそのあたりを通ってみると、当然のように私が屋根で寝ていたというわけで。その光景を見てひかないあたりが奴の変なところだ。
 お付き合いが続いて約一ヶ月。今日は一の字、二の字、二人と会うことになっている。
 私はじらすように五分遅れて、待ち合わせ場所に到着した。
「あ、来た来たつきちゃん」と一の字。
「で、どっちにするか決めた?」と二の字。それが第一声か。
 そして私はうそくさいほどのとびっきりの笑みで応じる。
「決めたわよ。教えてあげるには条件が要るけど」
「条件?」一の字二の字は顔を見合わせた。
 私は後ろを振り向いて、こっそり連れてきた連れを呼んだ。「ゆき」
 手招くと、彼女は私の横に並んで立った。
「はじめまして、でいいのかな、つきの姉の角倉すみくら雪花せっかです。私は一の字と二の字、あんたらのこと知ってるけどね」
 目を丸くするお二方に、私たちはふっふっふと共犯者の笑みを交わした。
「あんたたち、どっちが自分のプロポーズした相手かわかっているわよねぇ?」
 そう、私たちは双子なのである。

<了>


あとがき
novel

2005 11 07